大判例

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東京高等裁判所 昭和43年(う)2510号 判決

本籍

東京都世田谷区三軒茶屋町九六番地

住居

東京都世田谷区三軒茶屋一丁目一〇番一六号

会社役員

平岡信生

大正一四年七月九日生

本籍

東京都文京区小石川三丁目九四番地

住居

東京都世田谷区砧町一五一番地

会社役員

三宅栄二

昭和四年七月二一日生

右両名に対する詐欺、平岡に対する法人税法違反、三宅に対する贈賄各被告事件について、昭和四三年一〇七日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し各被告人及び原審弁護人らから控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決中被告人平岡、同三宅に関する部分を破棄する。

被告人平岡信生、同三宅栄二を各懲役二年に処する。

被告人両名に対し原審における未決勾留日数中各二〇日を右本刑に算入する。

但し本裁判確定の日からいずれも四年間右各刑の執行をそれぞれ猶予する。

原審における訴訟費用中、証人高島定、同三浦辰己、同秀平幹雄、同関俊秋、同安川利成、同阿部孝雄および同鳥谷部悌之助に各支給した分は被告人両名及び原審相被告人増田実並びに同滝口譲の連帯負担し、証人杉浦重明、同西村武治、同河地勇吉、同深田鉱太郎に各支給した分は被告人平岡および原審相被告人株式会社平岡同伊東吾一郎、同岡島智康の連帯負担とし、証人石井光彌に支給した分は被告人三宅および原審相被告人中村秋典の連帯負担とし、証人平岡先生に支給した分は被告人平岡および原審相被告人株式会社平岡の連帯負担とし、当審における訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、各弁護人作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

弁護人らの所論中、被告人三宅に対する贈賄事犯の事実誤認の主張は、原判決の挙示する証拠によつて原判決摘示の各犯行を認定し得るところであつて、採用し難い。

次に、被告人両名に対する量刑不当の主張であるが、原審記録及び当審証拠調の結果に徴し按ずるに、被告人三宅の贈賄は行政所管官僚と業者との間の弛緩した交際に基ずく法感覚の欠如の結果であり、被告人平岡の脱税及び被告人両名の本件詐欺の犯行は、利益追及に固執して法秩序を顧みない経済人の業ともいうべき破綻であつて、深く国民の憂うるところであり、この観点からみれば原審量刑は相当であるが、幸い訴欺の被害額は国庫に全額返納され、脱税についても適正な行政罰並びに株式会社平岡に対する罰金刑を受け終つたものであり、被害額、脱税額の多大であること、犯行の悪質であることもさること乍ら、実質は財政経済事犯である本件詐欺、脱税について被害が弁償回復され、且つ経済人としてその業界における制裁を十分受けてきたこと、本件における打撃を契機として被告人らが真撃な努力による更生を計つている人間的成長等諸般の情状に鑑みると、被告人らに対し今一度刑の執行を猶予し自由化の主潮下にある貿易業界に活躍させることもあながち国民感情の許さぬところではあるまいと考える。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条一項三八一条に則り原判決中被告人両名に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決する。

原判決が適法に確定した被告人両名に対する原判示事実に法律を適用すると、被告人平岡信生の判示所為中詐欺の点は刑法六〇条、二四六条一項に、法人税法違反の点は、昭和四〇年法律三四号附則一九条、同法律による改正前の法人税法四八条一項刑法六〇条に該当するところ、以上は前科調書乙により認め得る確定裁判(昭和四一年三月三日横浜地方裁判所宣告、同年同月一八日確定、懲役二月および六月、二年間各執行猶予)を経た輸出入取引法、関税法違反の罪と刑法四五条後段の併合罪であるので、同法五〇条により更に裁判することとし、同法四五条前段の併合罪の関係にある二罪の中法人税法違反の罪につき所定刑中懲役を選択し、同法四七条本文一〇条に従い重い詐欺罪の刑に前法四七条但書の制限の下に併合加重した刑期範囲内で同被告人を懲役二年に処し、同法二一条に則り原審における未決勾留日数中二〇日を右本刑に算入し、惰状により同法二五条一項一号を適用し本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとする。

被告人三宅栄二の判示所為中、詐欺の点は刑法六〇条、二四六条一項に、各贈賄の点は同法一九八条一項、一九七条の三、二項、罰金等臨時措置法三条に該当するところ、以上は刑法四五条前段の併合罪であるので、贈賄罪につき所定刑中懲役刑を選択し、同法四七条本文一〇条により重い詐欺の罪の刑に同法四七条但書の制限の下に併合加重した刑期範囲内で同被告人を懲役二年に処し、同法二一条に則り原審における未決勾留日数中二〇日を右本刑に算入することとし、情状により同法二五条一項一号を適用して本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとする。

訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長判事 脇田忠 判事 高橋幹男 環直彌)

控訴趣意書

被告人 平岡信生

三宅栄二

右被告人両名に対する詐欺、被告人平岡に対する法人税法違反、被告人三宅に対する贈賄各被告事件につき、控訴趣意を左のとおりのべる。

昭和四四年一月二七日

右弁護人 神崎敬直

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

原審は被告人両名に対する詐欺及び被告人平岡に対する法人税法違反、被告人三宅に対する贈賄につき、各懲役刑を選択し、両名に対しいずれも懲役二年未決勾留日数中各二〇日を各本刑に算入する。との判決を言渡した。しかしながら本件犯罪の動機、手段方法、被害の状況、回数、罪質、被告人の年齢、性格素行、経歴前科、本件犯行の地位役割、犯罪後の状況、その他諸般の情状にてらして、量刑不当として原判決を破棄し、両名に対し執行猶予の判決又は罰金刑を併科するとの判決を賜りたく上申する次第である。

第一 被告人平岡、同三宅の詐欺について

一、本件犯行の動機

本件犯行の契機となつたA・S・P関税制度については相弁護人の論述に譲るとして、貿易業界は国際情勢の目まぐるしい変化、利己的打算的なる大商社の間にごして貿易業界を生き抜くのは容易なことではない。国家政策の利害対立から道義的な正当論もときには他国の内政問題として無視され、とかく大企業優先主義が重視され個人の利益擁護の面が軽ろんぜられる場合が多く。確実な法的保障のない国際間の取引はいきおい投機的となり荒つぽい商法になるのはあながち株式会社平岡のみではあるまい。米国のA・S・P関税制度の不当拡大により我国の履物生産業者、輸出業者が次々と損害を蒙り、弱小企業が倒産し初めているのが当時の貿易業界の現実であるに拘らず対米追従無為無策の政府に対しなすべき手段を持ち得なかつた被告人らが、保険制度の活用を思いつきその普通輸出保険の不備を見い出したとき、そのA・S・Pによる損害補てんのためならばと、うかつにもその保険制度の悪用を考え出した被告人らの気持もある程度理解できないことはない。原判決も一その動機として米国におけるA・S・P関税制度の不当な拡大実施によつて弱少輸出企業である被告会社が多大の損失を受ける危険にさらされたため、将来発生するかも知れない損害を慮つて本件犯行に及んだ旨を供述するが、右事情それ自体は理解できる」としている。しかし、原判決は「右危険が去り犯行を断念する余裕が充分あつた」としているが、実は右危険は去つてはいなかつたのである。確かにA・S・P関税制度の適用による損害が発生すると心配していたレイヨンスニーカーについてはその昭和三六年四月一日日の適用までに船積を完了していて損害は発生しなかつたのであるが、レイヨンスニーカーについてはA・S・Pの適用が殆ど確定的見通しであつたので新製品のスチレンソールに切り替えるべく既に昭和三六年二月頃からメーカーに発注し逐次輸出を初めていた。被告人らは各種のスニーカーの輸出に対するA・S・P関税の危険に対し保険制度を利用する考えである以上、当時の米国におけるA・S・P関税の不当拡大適用方針からすればそのスチレンソールも適用をまぬがれる製品ではなく、その適用の危険は決して去つてはいなかつたのである。そのスチレンソールに対ても昭和三七年三月A・S・P関税が適用されている事実を見ても明かである。

手段方法

手段方法は普通輸出保険制度の利用である。原判決は「輸出保険制度を利用し、約一年間に亘り虚偽内容の文書を作成したり、一部文書の偽造までして通産当局を欺罔したものであり」その手段は「周到綿密」であるとしている。虚偽内容及び偽造文書の作成についてはその観を深くするが、貿易業者は関係者が他国にいる場合が多いため、争のない場合には勝手に他人名義の文書を作る慣習に影響され、あまり抵抗を感じなかつたのではあるまいか。しかしながら保険制度を利用しようとすればその制度自体かなりの日時と各種の文書の作成を必要とするものであつて、何か長期に亘る周到綿密な感じを受けるがそれはその制度に伴う必然的な要求であつて、被告人らは保険の申込、期限の延長などをしたが、事故発生通知以後の保険金受領までの手続は通産省保険課が指定或いは要求して来た書類を作成し、その都度提出したのである。すべての手段方法を立案計画したわけではない。検察官はその冒頭陳述において、被告人らは先ず第一次の輸出契約を結んだ後A・S・P関税が実施されなかつたので保険期間の延長契約をした際、将来架空な前記輸出契約の全数量が契約の取消によつて輸出できなかつたとし保険金を請求することは犯行の発覚するおそれがあると考え、被告人滝口とともに他の別個な輸出契約に基き実際行なわれたレイヨンスニーカーなどの輸出を恰も普通輸出保険のかけられた架空な輸出契約の一部履行の如く計算して右普通輸出保険の一部につき保険金額の減少する変更の契約を行なつているとしているが、被告人らはそんな綿密な手段を考えたのではなく、二ケ月或いは三ケ月間の輸出実績を規準として保険を掛けたのであるから、その間に実際輸出したものがあれば危険はそれだけ減少したのであるから、保険金額を減少するのは当然と考えたのである。とにかく右契約のごとき一四四八、九五二足の多量のスニーカーを簡単に保管できる筈もない。そこを調査されれば直ちに本件は発覚されてしまうのであつて、その面から見ると頗る幼稚な犯罪であつたのである。

三、被害の状況

原判決は「被害の点も全額弁償されたとはいえ、まことに多額で詐欺犯としては悪質な犯行であつてその社会的影響も甚だ大きい」としている。被害が大きいということは悪質犯行の一つの要素ではあるが、本件は被告人らが私腹をこやすような個人的利得を目的とした犯罪ではなく、会社の事業にともなうものであるため被害額が多額になつたとも云えるのではあるまいか。しかも本件は被害者が国家である点において一般の詐欺犯とはいささかおもむきを異にするが、詐欺罪は元来財産罪の一つの類型として個人法益に対する罪であるから、本来の国家的社会的法益に向けられた詐欺的行為については特別法(関税法を初め多くの税法など)によつて処罰される場合が多く、しかもその法定刑は詐欺罪と比較し軽い場合を考えると、被害者が国家であるからと云つて直ちに犯情重しと見ることはできないし、本件のごとく被欺罔者側に過誤がある場合においては更にその点も考慮されねばならない。又、そのため犯行にともなう被害者側の損害に対しては被告人らがその取得した金二一、二五二、三七五円全額を弁償することにより被害は完全に回復されたと見るべきであり、本件により通産省内部の当局者の責任或いは処分の問題も起らず事件は落着している。更に本件は貿易業界と云う特殊な社会環境でしかも通産省相手に保険制度を利用した犯罪であつて、一般の保険会社相手の保険金詐欺事件とはいささかその趣を異にしており、又現在においては履物に対するA・S・P問題は世界的な貿易自由化の波に押されて影のうすい存在となりつつある。従つて本件犯行が直ちに発覚し、被告人らが処罰されたことで一般予防の目的は十分達し得るのであつて犯行より七年後の現在被告人らを一罰百戒の意味において、特に実刑をもつて処罰する必要は全くないと云わねばならぬ。

四、本件犯行における被告人らの地位役割

原判決は「被告人平岡は個人的色彩のつよい被告会社の社長の地位にありながらこれを首謀し、社員を犯行に引き入れたものであり、被告人三宅は犯行の手段方法を立案計画し、自ら重行に当つたものであつて、被告人らの罪責は極めて重いといわなければならない」としている。確かに被告人平岡は本件における最高の責任者であり、被告人三宅はその立案計画の実行者としてその責任は重大であろうが、被告人らは言を左右にしてその責任をのがれようとする考えなど毛頭ない。唯若さと活気に駆られたため、貿易業界の矛盾に眩惑され、功を焦つた感がある。即ち、当時のアメリカの専断的A・S・P関税制度の適用に対してば業界の退嬰的事大主義にあきたらず、この機会にA・S・P関税の適用を受けないスニーカーを積極的に輸出する方策をとり、数量規制や輸出先規制に対しては大商社擁護の便法であるときめつけ、いささか脱法の非はあるとしても貿易界の落悟者とならないための強気の積極策に出た。活気と若さに溢れ積極心に燃えていた青年社長は会社の事業開拓に急であつて自己の非を反省する余裕がなかつた。手続的な脱法ぐらい皆やつているぐらいに軽く考えたところに不正輸出あり、脱税あり、終に詐欺と落ちるところまで落ちた観がある。原判決は被告人らに対し、正に頂門の一針と云うべきである。被告人らも今さらながらその罪責の深さを身にしみて体験し反省の日を送つている。

第二、被告人平岡の法人税法違反について

被告人株式会社平岡においては、起訴された昭和三七年二月期の法人税の脱税分については勿論これより以前の更正された昭和三五年二月期及び同三六年二月期の脱税分並びにこれに伴つて修正申告をした昭和三八年二月期の追加納税分については、昭和四二年六月三〇日までに合計金一七九、四四六、三三〇円を全額納付し、これに伴い法人事業税及び都府県市民税も三期にわたつて更正を受け、法人事業税(加算税利子税を含む)金二八、八七一、五二〇円、都府県市民税(利子税を含む)金一四、一八一、五五〇円を夫々昭和四一年七月末日までに追加納付を完了した。このように三期にわたり法人税を過少申告したことによりまして、昭和三九年二月期から合計金二二二、四九九、四〇〇円もの税金を追加納付したのである。しかも被告人会社に対する罰金一〇、〇〇〇、〇〇〇円の原判決に対する控訴はこれを取下げ、近く右の罰金を完納する予定である。従つて被告人会社に対する法人税違反事件はすべて解決することとなり、深く恭順の意を表わしている被告人平岡に対してはまさに罰金刑を選択されるのが相当と信ずるので特にこのことを御願いする次第です。

第三、被告人三宅に対する贈賄について

本件に対する無罪論は相弁護人の論述に譲るとして、仮りに有罪とするも左記犯情により刑の執行猶予又は罰金刑の選択の判決を賜りたい。

一、被告人三宅と原審相被告人中村との交際

本件の訴因である被告人三宅の相被告人中村に対する金員及び財産上の利益供与と右中村の三宅に交付した本件輸出インポインスとが対価関係ありともするも両者の従来からの交際関係からついうつかり今までの付合いの範囲内でやつたことで、被告人三宅にはその点に関する落度思慮の足りなかつた点はあつたとしても違法の意識は殆どなかつたと云えるのである。即ち、被告人三宅は株式会社平岡の渉外部長として輸出組合、通産省などの対外的な折衝を受持つていた関係から通産省の輸出課の人々とは接触が多く、その期間も長いことから自然と輸出課員全員と親しみができ、互に友達として時には喫茶店、食堂に出入りしたり、或いは一杯屋で飲むこともあつた。しかし三宅は業者と役人とのつき合いについては自分なりに一定の限度をわきまえていたので、知り合いの輸出課員も気のおけない相手として三宅を忘年会、送別会、歓迎会などに誘い、誘われれば三宅も喜んで出席したりしていた。相被告人中村とは気が合つたため特に親しくしており、三宅からは本件よりも六年も以前の昭和三二年頃株式会社平岡の民事々件の証人を依頼したり、昭和三六年頃には中村の方から退職金を担保に一〇万円の借用を申込んで来たので一万円を貸してやつたり、昭和三八年三月頃には吉永事務官のため慰労会を設営したこともあつた。そして同年一二月初め頃中村から仲間の忘年会の資金の融通を頼まれたので、忘年会の費用として金一万円を中村に渡し、昭和三九年二月右の顔馴染みの吉永事務官の帰任歓迎会に出席を誘われたのでその会費として金一万円を幹事役の中村に渡したのである。更に同年三月頃渡辺事務官の退職送別会の二次会費金四万五千円余の支払を中村より頼まれたが友人としてそんな多額の金を出す必要もないので、自分の出席した場合の会費として金二万円の支払を承諾したのである。

右のごとく被告人三宅と中村との頭初からの交際の実態を日時を追つて検討してみると、このような程度の付合が役人と業者との私的交際の範囲であるか否かの判断は別として、中途よりこれと云つた変化は見られない。この事実から見てもその間に行なわれた中村からの本件輸出インポイスの交付との関連について、被告人三宅の側においてはその交際に際して全く意識がなかつたが、あつたとするも余り価値なく問題にしていなかつた証拠ではあるまいか。

二、動機

直接の動機としては相被告人中村の方から誘われたり、要求されたりしたことが原因となつている。即ち判示(一)の一万円の供与については輸出課員の忘年会の資金の融通を頼まれ、平生知り合つている課員の忘年会でもあるので、つい心よく現金を中村に直接渡してしまつたのである。(二)の一万円の供与の相手方も中村ではあるが、これも中村から課員の帰任歓迎会に出席を誘われたので、その会に顔を出した以上会費を支払わなければならず幹事役の中村に会費として渡したのである。(三)の二万円の利益供与については中村より送別会の二次会のバーの請求書を廻されたのである。この金四万五千円は送別会費としては多すぎるので内金二万円を負担してやつたのである。被告人三宅としては友達付合としての筋を通していたのである。役人と業者との関係からではなくとも誘われ、或いは要求されたときは断りづらいのが人情である。

三、手段方法

被告人三宅の金員及び利益供与の方法は実質的に見ると忘年会費、歓迎会費或いは送別会費などであつて、一般的よく贈賄の手段として使用される会費名義の下に、その実は収賄者の個人的利得を目的とした供与がなされる場合が多いが、本件はそれとは異なり前述のごとき両者との関係からみても、被告人三宅においては会費に使用されたと信じていたもので、現に会費として使用されているのである。

四、被害の状況

本件において第三者が損害を蒙つたり、通産省内において業務に支障を来たしたり、監督上の責任者が処分されたような事態は起らなかつた。即ち本件輸出インポイスは通産省内では重要な公用文書ではなく、輸出班長自身も輸出インボイスを業者に閲覧させたり、その管理も極めて無造作でときには通産省の廊下に積まれたり、廃棄処分に当つても頁数の確認もしていない。

一方三宅の方も輸出統計班の事務室に出入りしていたので、本件輸出インポイスが重要な公用文書であるとは全く考えておらず、他の方法による調査も可能であつて、必ずしも中村の取扱つた輸出インボイスを閲覧する必要はなかつた。中村がたまたま輸出インポイスを取扱つていたので手軽に彼に貸与方を頼んだのが真相である。

五、供与の金員及び利益

被告人三宅より中村に供与された金員及び利益は合計金四万円であるが、判示(一)、(二)の金員は三宅としては忘年会と歓迎会の出席者全員のために使用されるものとして中村に渡したのであり、(三)の金二万円も二次会に出席した中村を含めての三人のために支払つたのであり、三宅は中村一人に利得させるという考えはなかつたのである。

第四、被告人平岡の前科

被告人平岡は昭和三七年九月一八日東京地方裁判所で外国為替及び外国貿易管理法違反により罰金五万円でその刑の執行を三年間猶予せられ、また昭和四一年三月一八日横浜地方裁判所で輸出入取引法並びに関税法違反で懲役二月及び六月(主文が別れたのは右の罰金刑の確定裁判による)に処せられ二年間刑の執行猶予の言渡(本件はこの横浜判決の余罪である)を受けているので人格的に違法行為をあえてする反社会的性格者の傾向があるやに思われるが、この両事件は貿易業者の往々にして陥りやすい輸出に伴う取締法違反である。

右の外国為替及び外国貿易管理法違反の事件は、昭和三二年頃東南アジアに輸出を行なつた際バイヤーの強い要求により、輸出代金の一部を円貨で受け取つたという事件である。当時にあつては輸出、輸入の代金の一部を円貨で決済することが、大商社にあつても小規模商社にあつても日常茶飯事のこととして行われており、貿易関係者にとつて常識的なことで、違反などということは念頭になかつたというのが実情であつた。このようにいわば商慣習としてそのような円貨による決済が行なわれていたので、被告人平岡においても当時外国為替管理法規の知織は殆どなかつたし、大商社でも普通に行なつていることなので何の疑をももたず右の違反行為をしてしまつたのである。裁判所におかれてもこのような事情を勘案し異例の罰金刑に執行猶予の判決を言渡したものと思われる。なお、当時日本有数の大商社が何社も同種の事件で起訴され、新聞紙上に報道されたことを参考のために申し添える。

次に輸出入取引法違反並びに関税法違反の事件は、昭和三七年から同三八年にかけカナダの輸入業者との間のゴム履物の輸出取引において、仕向地を真実とは異なる米国として、税関に輸出申告したことが違反として摘発を受けた事件である。すなわち、カナダ向の数量規制に違反した事件なのであるが、この数量規制は、カナダ政府が自国のメーカーの擁護のため同国に特有の関税の任意評価権を実施して実質的に日本製品の輸出を禁止するに至るであろうという脅迫的な態度を示したことから、日本側において不本意ながら実施に踏み切つた自主的規制措置で当時から批判の多かつたもののいわばいわくつきのものであつた。そして当時は米国の金属洋食器の輸入制限運動による数量期制が行なわれていた頃であつて、形式上仕向地を他国にしておけば規制を受けないですむという誤つた見解が貿易業界にかなり広範囲に流布され、そのような輸出方法が実行され別に検挙、摘発されるということもなかつたのである。そんなところから株式会社平岡においても、バイヤーの要請もあり、そのような誤つた輸出方法を採用してしまつたのである。右事件は右のような事情のもとに生じた事案であつたのであるし、特別に安売りして日本製品の価格を混乱させたとか、国際的信用を害したということも全くなかつたのである。また昭年四一年六月にはカナダ政府がすでにその必要がなくなつたとして日本側の規制は撤廃してよいという見解を表明しており、このことは右事件の審理において通商産業省軽工業局化学品雑貨輸出課長京本善治が証人として供述したところである。又被告人平岡は他の者の関与事実についても小異を捨てて主たる責任は自分にあるとして潔く判決に服している点から見ても、平岡の性格自体に悪性があつたからではない。

第五、被告人両名の一般的情状

原判決も「もとより被告人らが犯行発覚後四年有余の間悔悟と自責に苦しんだであろうことは察することができるし、再犯のおそれが極めて少ないことも認められ、また一時的であるにせよ社長を失うことによつて株式会社平岡の存亡を危惧する社員らの心中を想うとしのび難いものがある。」としている。被告人らはいずれも株式会社平岡の発展を願い会社の事業に関して本件犯行に陥つたのであつて、詐欺及び税法違反によつて得られた不正の利益は全額株式会社平岡に入れられており、被告人らの個人的に入手した金は全然ない。又被告人両名は原審公判において公訴事実を率直に認め、被告人平岡は社長としての責任を回避する考えなど毛頭なく自らを責め、徹底的に悔悟反省している。犯した罪は償わなければならないことは当然として被告人平岡は四三歳、被告人三宅は三九歳この春秋に富む青年実業家である。どうか以上の情状を御理解の上被告人両名に対し、御寛大な判決を賜わり今後貿易業を通じ国家社会のために寄与をなし得る機会を与えられんことを切にお願いする次第です。

昭和四三年(う)第二五一〇号

控訴趣意書

詐欺、法人税法違反

被告人 平岡信生

詐欺、贈賄

被告人 三宅栄二

右被告人両名に対する頭書被告事件につきその控訴趣意は左記のとおりであります。

昭和四四年一月二七日

右被告人両名の弁護人

田中萬一

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

控訴趣意

原判決は、本件被告人平岡信生に対する詐欺、法人税法違反、被告人三宅栄二に対する詐欺、贈賄につき、それぞれ罪となるべき事実を認めた上、被告人両名に対して各懲役二年に処し、未決勾留日数中各二〇日を各本刑に算入する旨の処断をされた。

しかしながら、原審の審理を通じて訴訟記録上認められる諸情状に鑑みるとき、被告人両名に対しては、まさにその刑の執行猶予に値いするような情状があると思われるのに、これを斥けて実刑の言渡をされた原判決は、その刑の量定が当を失すると信ずるので控訴したわけである。

よつて、本弁護人は以下主として、被告人両名には刑の執行猶予に値いする多くの有利な情状の存する点について申し述べる。

なお、被告人両名に対する相弁護人の控訴趣意はすべてその利益に援用する。

第一、被告人の経歴

一被告告人平岡は、昭和二五年東京大学農学部を卒業後、その父がかつて貿易業を営んでいたことから、これを継承しようと決意し、一時、他人の経営にかかる貿易商社に勤めて修練したが、昭和二七年に至り独立して貿易業を目的とする株式会社平岡公司を設立し代表取締役としてその経営の衝に当つた。そして、昭和三二年に至り、同公司を発展的に解散し新たに株式会社平岡を設立してその代表取締役となり以来、同会社の経営に専念してきたものである。

二 被告人三宅は、昭和二二年東京都立第五中学校を卒業後、貿易会社に就職していたが倒産したため、昭和二七年前記平岡公司に入社し、株式会社平岡に改組後も引続き在勤し、昭和三四年には取締役となり、管理部長、営業第一部長を兼務して、主として営業担当の責任者として精励してきたものである。

第二、被告人の性格、素行、家庭環境等

一 被告人平岡は、元来真面目で淡白で、教養もあり、自分の仕事には異常の熱意を傾ける性格の人であり、一見強い意思の持主のようでもあるが、他面気の弱いところがある。そして偏質的な性格は全く見受けられない。

素行、生活態度は至つて善良で、世上往々にして問題とされるような私行上について非難されるようなことは全く見受けられず、事業関係で必要なときのほかは、健康上のこともあつて努めて宴席を避け、平素は自分の利害を超えて、会社第一主義をもつて信条とし、会社経営者としての責任感が旺盛な人である。

近親者の間では、兄弟一〇人のうち、最も信頼され、将来を嘱望されている一人で、かねてキリスト教を信じ、家庭は、妻と長男(一一才)長女(九才)で、模範的な家庭円満な一家である。

ただ、十年位前から胃潰瘍のため医療手当を受け以来消化器系統に病的なものがあり、健康が余り勝れず、平素、食事その他について摂生を守つている。

右のように、その社会的、家庭的環境は比較的良好である。

(原案証人平岡真加藤亮一の証言参照)

二、被告人三宅は、卒直円満な性格の人で、明朗で協調性に富み、責任感が強く、仕事熱心で、素行、生活態度に非難されるところはない。

家庭環境は、妻と長男(八才)長女(四才)とともに、父(八一才)母(七〇才)を扶養しているほか昭和二七年実兄死亡後は、その未亡人と遺子三人の生活上の面倒を、被告人三宅が見てやつている状況である。なお、被告人三宅は、昭和三八年一月胃潰瘍のため、胃を三分の一位切除の手術を受けたことがあつて、健康的には余り恵まれていない。

右のように被告人三宅の環境もまた、比較良好である。

第三、情状

一、詐欺関係の動機

原審において、被告人等が陳弁したとおり、被告人平岡は、保険関係のことは、当初から自らこれを発意考案したものではなく、会社事業の運営に没頭中の途次、たまたま被告人三宅等の進言があつたことに端を発し、しかも当初の頃は、会社の貿易取引上の危惧される危険をカバーするための包括的保険の趣旨のように安易に考えていたため、三宅等の進言に心を引かれて、三宅にその検討や以後の手続上のことを一任するに至つたものと認められ、平岡が当初から卒先して企画、立案の上これを実行させたのではなく、殊に、私欲を目的としてしたのではなかつたので、平岡としては、当初から強い罪悪感の下に強い犯意をもつて本件に臨んだのではなく、成行上自然と意外重大な結果に推移到達してしまい、今更ながら痛切に悔いを新たにしているのである。被告人三宅は、営業担当責任者として、会社の取引上の危険をカバーしたい一心から、当時の業界の実情等を間知していたことにも禍いされ、平岡に保険関係のことを進言して、その検討と手続上のことを一任されたので、これまた私欲を目的としていなかつたため、強い罪悪感なくして手続を進めて行くうち、必至的に深淵に陥つてしまつたという心情にあつて、三宅もまた、当初から強い犯意をもつて本件行為に臨んだものではないと思われる実情にあるのである。

二、その犯行の手段

本件犯行の手段は、保険契約手続から保険金受領行為までの間、その手続面において、先ず普通輸出保険契約、次いでその延長契約手続をし、やがて通産当局に対する損害発生通知書の提出、未満化学株式会社名義の請求書及び領収証の形式整備と提出、最後の保険金受領手続等一連の不正行為が逐次段階的になされているのであつて、この点について原判決は「約一年間数次に亘たり、虚偽内容の文書を作成したり、一部文書の偽造までして、通産当局を欺罔したものであつて、その手段は周到綿密であり」とされ、被害額と相俟つて「詐欺犯としては悪質な犯行」と認定されており、その手段が一見相当の期間を通じ、多岐にわたつて周到綿密にさされた観を呈しているのである。

しかしながら、その手段の推移過程をよく観察すると、このような行為を遂行するためには、通産当局において要求される一定の手続方式があるため、三宅においてこれを当局に教わりつつ、勢いその通常の規格方式に最小限度添うように書類を整えざるを得なかつたためであつて、被告人等が新規奇抜な巧妙な特段の方法を案出してなしたものではないのである。そして後述するように、通産当局において、当時、今少し通適切な審査がなされていたならば事前に直ぐその不正が判明したと思われるような見え透いた拙劣単純な方法であつたとさえ見受けられ、その手段に特色のある異常な巧妙性があつたわけではないのであつて、これら一連の手続行為が周到綿密になされたという評価は必ずしも当らないと思われる。

三、犯罪の軽重

本件は通産当局を欺罔して二、一二五萬円余を騙取したという事案で、原判決において「被害の点も金額弁償されたとはいえまことに多額」であるといわれており、そのとおりである。

しかし、一方、被告人両名の犯意の強弱の点その他の事情から観察すると、前述の動機のとおりの経緯によつて事態が推移し、その間因果律に支配されて結果に陥つてしまた観があり、当初から周到な計画の下に強い悪性をもつて企画され実行されたものとは認められない。

四、通産当局の審査の不徹底

本件保険金請求の当否についての通産当局の審査が不徹底であつたことは原審証人加藤準の証言等によつても窺われるところであり、このように簡単に手続が運び、請求が通るとは思つておらず、当局の審査過程において不正を指摘されるであろうと思つていたという述壊を被告人三宅がしているほど、審査は形式的であつたのである。

被告人等の責任を他に転稼するわけでは毛頭ないのであるが、保険金請求手続に対する審査の段階で、単に書類上の形式審査に止らず、今一歩踏み込んで審査が行われていたら、本件手続は直ちにその不正が発見され得たわりであり、本件の誘発が避け得られたものと思われる。たとえば米満化学株式会社について、その製品の保管場所の規模や帳簿類を一見しただけでも、容易にその不正性が発見され得たような拙劣な手続書類だつたのである。

五、行為の結果

本件保険金は全額株式会社平岡の会社経理に入れてあり、その後は会社経理の一般方式によつて処理されていて被告人等は直接この金を個人的に利得していない。詐欺犯の場合その多くは騙取金を個人的に利得し、不道徳的に費消するのが常であるが、本件においては、一般の詐欺犯の場合に見られるような個人的に悪徳的費消をしたという事実はないのである。

六、被害の弁償

受取つた保険金は、当然のこととはいえ、昭和四〇年三月一一日全額、通産当局へ返納している。

本件発覚後の返納ではあるが、その間この金を濫費するようなことは一切しておらず、逸早くその被害額を全部弁償済みである。

七、被告人両名は性格的にいわゆる自然犯的犯罪に陥り易い要因を有している者ではなく、もとより詐欺の常習犯的性格のものではない。

被告人平岡は、昭和三八年九月一八日東京地方裁判所で外国為替及び外国貿易管理法違反により罰金五萬円、刑の執行猶予三年に処せられ、また、昭和四一年三月一八日横浜地方裁判所で輸出入取引法、関税法違反で懲役四年及び六月刑の執行猶予二年に処せられているが、この両本件は、貿易業者の往々にして陥り易い輸出に伴う取締法規違反であり思慮を欠くところがあつたとはいえ、当時の貿易業界の誤つた慣行等その環境に禍いされて違反に階つたものであつて、平岡は社長の立場でもあり潔よくその責任をとつて刑に服しており、しかも前者は稀な事例である執行猶予付きの罰金刑であり、後者は二年間という短期の猶予期間であつたことから見ても、両事件ともその特状大いに掬すべきものがあるとのご判定であつたことが総合的に窺われる。

すなわち、被告人平岡はこれまで詐欺その他いわゆる自然犯の処罰を受けたことは一度もなく、被告人三宅は全く前科がないのであつて、被告人両名の性格、社会的経済的地位、教養、家庭的環境等に鑑み、被告人両名に犯罪敢行の悪性的な性格、要因があるとは、到底認められない。

八、株式会社平岡並びに被告人等が、従来多年にわたつて貿易業を通じて、わが国の貿易界に尽し、貿易の発展と外貨獲得のために貢献し、また、その貿易取引上日本製品の品質に対する信用と、誠実な契約履行の実績等から外国貿易業者の信用を博しており、更には国内の関係製造業者との共存の上に立つて、わが国の貿易界に相当の貢献をしているのであつて、これらの貢献度も本件の情状の一つとして高く評価すべきものと思われる。

第四、その他の情状

一、社会的制裁

被告人両名は、昭和四〇年一月八日突如として逮捕され引続き四十二日間拘束され、会社自宅等の大がかりの捜索を受け、報道機関によつて大きく報道されたため一挙に社会の信用を失し、一転して業界からは警戒され、取引金融機関からは極度の締めつけに会い、一般社会からは白眼視され、物心両面に互り、殆んど致命的な打撃を受けたのである。そして同年一月二八日起訴され、以来三年九ケ月間事件は原審に係属して審理を受けたのであるが、この間両名は「被告人」という肩書を背負い続けて苦難の途を辿りつつ社会的経済的活動は制限され、精神的に萎縮して日夜何ものかにおびえながら苦悩を続け、難行してきているのである。そして、原判決において実刑の言渡を受けたことによつて、更にその苦痛は倍加しているのである。

すなわち、本件について実刑を科せられなくとも、両名に対する社会的制裁は最早両名が身をもつて痛切かつ十二分に受けているのであつて、既に受け、また、これが将来にも及ぶであろう。これ等の社会的制裁によつて、本件の及ぼした社会的影響は相当緩和されるものと信ずる。

二、犯行後の時の経過

本件詐欺関係の犯行は、昭和三六年一二月二二日終了しており、また法人税法違反行為は昭和三七年四月三〇日に終了しているのであるが、顧みると犯行の時から今日まで既に、前者は七年一ケ月、後者は六年九ケ月を経過している。

この時の経過は、とりもなおさず、その間被告人両名が良心の苛責を受け、不安におびえながら歩いてきた長い苦悩の年月であつて、この苦悩と悔恨は、筆舌に尽し難いものがあつたことと推認されるのである。

三、被告人平岡は被告人三宅の責任をも含めて、贖罪反省の実を示す一端として、自ら社会福祉法人城山学園ほか、年末助け合いや、厚生保護団体等に対して、昭和四一年以来原判決前までに合計金九十数萬円の寄付をしており、更には、右寄付とは別に、本件で逮捕された昭和四〇年一月を終世の反省の月として徹底的に自らを責め、自らを戒しめるために、毎年一月を期して私財のうちから金一〇萬円づつを公共福祉団体に寄付することとし、この寄付は自分の生活力の続く限り終世これを実行したいととを誓つており、昭和四一年から本年まで毎年一月、四回にわたつて財団法人更新会に寄付を実行しているのであるが、このことは他から勧められたのではなく、平岡の自発的な自戒反省からのものであるので、平岡は今後その一生を通じてこれをなし続けて行くものと信ずる。

これら平岡の行為は、単なる物質的なものではなく、同人の徹底した心からなる悔悟反省につながる精神的なものとして評価していただきたいのである。

四、被告人両名は、本件について、捜審段階から終始その事実並びに犯意を卒直に認めて、ひたすら反省悔悟し、過去の非違の改善、更生に最大努力を傾倒していて、犯行後の態度はまことに良好である。

そして、一方、会社の事業については、苦難のうちにも社員を合してその立て直しに精塊を傾注した結果、漸く立て直しの曙光を見出し、着々その経理処理を適正明確に堅持するとともに、企業運営の面でも、貿易関係法規の規制を受けない取引品目を取扱うことに変更して、いささかも反法行為に陥る懸念がないように企業の体質改善に既に着手実行しているので、被告人両名の改悛の情が顕着であることに鑑みるとき、再犯の虞は全くないものと信ずる。

五、被告人平岡の関係において、本件は前示横浜事件の余罪である。

被告人平岡は、前示のように輸出入取引法、関税法違反で、昭和四一年三月一八日横浜地方裁判所において処罰され、その執行猶予二年の期間は既に昭和四三年三月に満了している。

この横浜事件と本件との余罪関係のことは原審において弁論したとおりであつて、被告人は横浜事件の判決によつて既に刑罰評価を受けており、従つてこのことから本件の執行猶予適合性を否定すべきものではないと思われる。

六、被告人両名が実刑に処せられた場合の影響、被告人平岡は年令四三才、被告人三宅は三九才の壮年者で、その人世経験に立つて、今後いよいよ業界を通じて社会に貢献のできる将来性のある者である。のみならず、大事な家族を擁し、一家の主柱として立つている人である。

一方、株式会社平岡との関係については、この被告人両名が失脚したときの影響に想例するとき、微妙な会社の人事管理、複雑な内外の取引先、敏感な金融機関との関係その他会社の基本的な事業運営に一大支障をきたすことは必至的で、被告人両名に代替できる人のない現状に鑑みて、会社の平常な存立さえ危ぶまれる状況にあり、多数の従業員及びその家族はもとより、会社取引先等にも波及することとなり、直接間接に悪結果を生み、両名が実刑の烙印を押されたときの影響犠牲が余りにも大き過ぎることを痛感されるのである。

七、被告人平岡に対する法人税法違反関係については、相弁護人の控訴趣意援用の関係からここに重複を避けるが、ただ特に申し述べたいことは、脱税額は、本税は勿論、利子税、重加算税その他関連地方税等多額の課税をすべて完納して、納税義務を完全に履行し、今や、行為者としてその非を充分悔悟反省しており、一方株式会社平岡においては過日控訴を取下げて謹慎し、その刑に服していることである。

このことは、前述の詐欺関係の保険金の全額賠償済みの事実とともに、国に及ぼした被害額弁償の責任を果たし、会社も刑に服し、その行為者も徹底した反省の実を示している一証左であつて、これらのことからも、被告人等自身の更生の可能性が一層高められることとなつたものと思われる。

第五 結語

刑罰の作用は実際上、特別予防的作用、一般予防的作用、被害者の満足の三面に互つて営なまれているものと理解され、また、刑罰の裁量は、犯罪の実害または危険等の外形のみに偏して考えるべきではなく、更に犯人の人格、性情、その他の諸情状についてもまた充分考えられなければならないものと理解されるのであるが、今これを本件に即して見ると、本件には如上詳述したように、被告人両名に対して幾多有利な情状が認められるところ、これ等の情状の存在を前示刑罰の作用とその裁量の理に照らして、本件犯罪事実に対する刑罰評価を考察するとき、本件はまさに執行猶予に適合する事案であると思われ、刑の執行猶予の判決によつて本件に対する刑の社会的効果は充分発揮され得るものと信じられる。

以上の諸点を篤とご勘案の上、原判決の量刑についてこれを是正していただき、被告人両名に対し何卒刑の執行猶予の恩典に浴せしめられるよう切望する次第である。

控訴趣意書 以上

詐欺、法人税法違反 平岡信生

詐欺、贈賄 三宅栄二

右被告人両名に対する頭書被告事件につき、控訴の趣意を左記のとおり申し述べる。

昭和四十四年一月二十七日

弁護人 伊坂重昭

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

原審判決は、被告人平岡につき詐欺、法人税法違反、被告人三宅につき詐欺、贈賄の各事実を認定し、被告人両名にそれぞれ懲役二年、未決勾留日数二十日算入の刑を言い渡したのであるが、本件は、その情状に鑑み執行猶予を言い渡すべき案件であつて、実刑を言い渡した原審判決の量刑は著しく当を失したものである。以下その理由を申し述べる。

第一、貿易業界の慣行と本件との関係について

(一) 貿易業界特に戦後のそれにおいては、局外者にはおよそ理解し難いような特殊な慣行が、日常茶飯事のこととして容易にまかり通つているのである。

その慣行とは、虚偽が必要悪としてまかり通つていることであり、虚偽すなわち真実に反する文書の作成ということが正常貿易の実務においても極めて頻緊に要求され、それを拒むことは、直ちに取引を拒否することに通ずることが多く、ために大商社も小規模な貿易業者もともにこれを当然のこととして受け入れていることなのである。

本件被告人等の行為は、一連の虚構の事実を作為して国から多額の保険金を騙取したという悪質な行為の感を呈しているのであるが、このような業界の実情を知るときは、右のような貿易業界の環境に災され、行為当時においてさほどの抵抗感、罪悪感なくして推移してきたという被告人等の心情がよく理解できると思われる。

(二) 以下普遍的な事象の幾つかを紹介しその実情を見ることにしよう。

1 海上運賃について

いわゆる外航船を運航する各国の海運業者は、過当競争を防止せんとして運賃競争の抑制、運賃率の安定等を目的とする国際的な運賃同盟を結成し、同盟で協定した運賃の値引を排除しようとしている。しかし、現実には運賃の値引競争は激しく、所有船舶を少しでも効率的に利用しようとするため、積荷獲得のため海運業者は熾烈な積荷獲得競争をくりひろげている。

運賃同盟の監視があり、違反事実には多額の制裁金を課せられるため、海上運送契約の実務においては、規定運賃を収受したように契約をしながら、相当額の金銭をリベートとして貿易業者に支払つている。このことは現在では誰一人知らないものはいない顕著な事実である。この点については、本件脱税事件の審理においてもその一端が明らかになつたところである。そのようなリベートは正規帳簿に記帳できないことからこれを簿外処理したこと、それが税務上過少申告をなすに至つた当初の動機であつたことがそれである。

また海上運賃は、積荷の品目によつて同じ重量でも著しい格差がある。例えば、現行の運賃同盟の運賃料率表によれば、日本から米国太平洋岸までの運賃は一トン当り電器製品中のラジオは四十四ドル五十セントであるが、玩具は二十六ドル五十セントないし二十八ドル五十セントである。したがつて、各国の貿易業者は、外装から一見明らかな場合はともかく、しからざる限りは運賃の安い品目で船積しようとするのは当然の成り行きである。右の事情にかてて加えて、積荷獲得に懸命である船会社としては、当然右の事情を知つていても、表面は知らないこととして真実と異なる品目の運送契約を結び船荷証券(以下B/Lという)を発行するのである。船会社としては、安い運賃でも、積まないで船舶を運航するよりは採算上有利であるからである。我が国の貿易業者が輸入しようとするとき、少しでも輸入原価を安くしようとしてこれを行なつているし、また輸出する場合においても、相手方(輸入者)は、同様に自己の採算を有利ならしめんとしてそのように船積することを指示してくることになるのである。わが国の業者だけでなく、各国においても同様のことが行なわれていることはいうまでもない。すべての商品においてこれが行なわれているということではないが、利益率の薄い商品の輸出入においては、大商社も小規模貿易業者も同様にこのような手段を講じているのが実情である。このような場合、輸出者は輸入者に対しインボイスは真実のものと名目上のB/L面上の品目のものと二つを作成し送付しなければならない。貿易業界において普通のこととなつている二重インボイスの発行にはこんな理由によるものも多いのである。

2 B/Lのバック・デートについて

貿易取引の実際において、戦前戦後を問わずB/Lのバック・デート、すなわち荷主の依頼により船会社がB/Lの日付を真実よりもさかのぼつて作成することが稀ではない。例えば、信用状(以下L/Cという)の期日内に船積をなし得ない場合が往々にして生ずるのである。それは船積をする貨物の生産なり集荷が予定より遅れたためであることもあるし、仕向地間の船舶の便が悪いための場合もあるのであるが、いづれにしてもL/Cの有効期限内でなければ外国為替銀行に為替手形の買取をして貰えない。そこで、例えば実際の船積が二月三日であつても、L/Cの有効期限が一月三十一日である場合、荷主たる輸出業者は、船荷証券のデートを少なくとも一月三十一日にして貰いたいと依頼することが行なわれるのであつて、船会社もこれに応ずるのが常識である。俗に月がわり船についてこういう慣習が行なわれている。事情を知らない局外者は、L/Cの期日を延長する手続をとればよいというであろうが、L/Cの内容の訂正手続を輸出先に連絡し、その手続が終了するには一週間から十日間位を要するのであるから、生きている貿易取引の実際からすれば非現実的で、しかも輸出先にとつても不利な結果をもたらすことが多いのであるから、このような便宜的処置も当然仕方のない行為として是認されている。また輸出先によつてはL/Cの期日延長を申し出るとそれを奇貨として契約の破棄を口実に脅迫的に値引を強要してくることも少なくない。このような場合、貿易業者としては、そのような不当な値引に対抗するためにもB/Lのバックデートを要請せざるを得ない。このようなB/Lのバックデートもまた海外取引において普遍化された不真正な文書の作成の一つの例といえる。

3 米国向のエクス・フアクトリー輸出について

米国向輸出において、エクス・フアクトリー(EXSFACTORY)契約があつたように書類を作作することも従来から広範囲に行われている慣行である。米国においては、輸入税の課税標準はFOB価額である。しかるに、特例として、米国のバイヤーが相手国の生産者から工場渡しの条件で貨物を購入した場合には工場渡しの価額が課税標準とされる。当然のことながら、通常の場合と比較し、課税標準額が相当程度安くなるから、輸入税の負担も軽減されるわけである。

米国の輸入業者も、販売面での競争の激しさから少しでも輸入コストを低減するように努めるから、でき得る限り右のようなエクス・フアクトリーの適用を受けようとし、実際には、日本の輸出業者との間では、普通の売買契約を締結しながら、エクス・ファクトリーの適用を受けることのできるインボイスの別途送付を要求してくることが多い。わが国の輸出業者は、輸出取引を実現するため、やむなくその要求に応じ、真実のインボイスの他に要求されるインボイス等を送付しているのが実情である。なおそのような仮装の形態をとる場合、輸出業者は、バイヤーの委任を受けて買付並びに船積等の代行を行なうこととし、一定の手数料を受け取るということになる。右に述べたような行為は、わが国の貿易関係の法規には違反しないが、米国側において輸入税の脱税という結果をみることになるのである。輸出業者としては、これを健全な取引とは考えていないけれども、惰性的にこれを行なつてきているのが実情である。

4 クレームの支払について

貿易にはクレームがつきものであり、輸出業者の悩みの一つにこのクレームの処理がある。漫然とクレームの支払を許可しないのが、戦后のわが国の貿易為替管理の特徴の一つであるが、商取引上当然支払わなければならないクレームについて、通産当局が要求する証憑書類が整わないことが多い。すでに相手国内で貨物が広く販売されてしまつており、送金許可に必要な書類が整わない場合や、バイヤー側が強気で、エビデンスが必要であるからと申し入れても相手方に通せず、送金許可に必要な書類が整わない場合等事情は一率ではないが、正規の送金許可が得られないことが多いのは事の性質上当然である。そのような場合、比較的送金許可を得ることが容易である代理店手数料の送金を利用することが貿易業界では常識化している。

代理店手数料は、当該地域に輸出の実績があることを証明することにより、一定率で送金を自動的に許可されているのでこれを利用するのである。実際には必要のない手数料を送金し、それをクレーム支払に充当するわけである。違法な送金とはいえなくとも、不正な送金であることはいうまでもない。また、代理店手数料の送金の許可をもつてしても支払に足りないような場合にはバイヤーとの次回の取引において、輸出価格を実際より値引いた形で輸出することもやななく行なわれているところである。この場合にもインボイスの二重発行をする結果となる。

このように、クレームの支払に関連して虚偽の手続を繰返えしているのが貿易業界の実情なのである。

第二、詐欺について

一、本件詐欺は、多分に経済犯的性格の特殊な犯罪であつて、本来的な詐欺罪とは著しくその趣きを異にする。そして、本件の犯行によつて輸出保険制度の運営を阻害するが如き具体的な結果は生じてはいない。

また通商産業省の担当係官を欺罔したとはいえ、担当係官自体の事務処理には重大な過怠が存し、若し保険事業本来の周到、的確な事務取扱がなされたならば、本件は未然に防止され、保険金交付の事態にまででは立ち至らなかつたものと考えられるのである。

(一) 本件は輸出保険金の詐欺であるが、いうまでもなくこの保険金は輸出保険法に基く保険金であり、同法及び関係法規所定の手続を経て、すなわち当該事務を担当する通商産業省通商局輸出保険課係員に必要書類を提出し、その審査の結果を経て交付を受けたものである。したがつて、世にいう通常の保険金詐欺とは根本的にその性格が違うのである。

輸出保険は、輸出保険法第一条に明記されているとおり、輸出貿易その他の対外取引によつて生ずる為替取引の制限その他通常の保険によつて救済することができない危険を保険する制度を確立することによつて、輸出貿易その他の対外取引の健全な発達を図ることを目的として制度化されたものである。これは、戦後のわが国において、輸出の振興こそ国民経済の復興と発展を図るための最大の方途とされ、それがため諸種の輸出振興ないし輸出促進の政策が実行に移されてきたが、輸出保険法は、その一環として立法化されたもので、これと同種の政策的見地から立法化されたものとしては、設備等を本邦から輸出する者が外国為替相場の変更に伴つて受ける損失を補償する制度を確立することによつて、設備等輸出の促進を図ることを目的とする設備等輸出為替損失、補償法並びにプラント類の輸出に伴う保証損失を補償する制度を確立することによつて、プラント類の輸出の促進を図ることは目的とするプラント類輸出促進臨時措置法がある。

結局、輸出保険制度や前記二法に基く補償制度は、輸出振興のため国が民間業者の輸出等に伴う特殊な損失を補償するものである。したがつて、欺偽その他不正の手段によつて保険金や補償金の交付を受ける行為が、その制度の健全な運営を害する虞れのある不正行為であることはいうまでもない。しかしその場合侵害される法益とは、そのような意味における国家的法益が主たるものであるといわねばならない。しからば、それが若し詐欺罪に該たる場合、この意味において個人的法益、個人的財産に対する罪である詐欺罪の本来的な類型とは異なるものである。なお、この点に関し、補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律第二十九条参照。

およそ国家が特定の政策を実現しようとして、特別の法律を制定し、国が私人に対し危険を保険したり、損失を補償することを定め、具体的には私人の請求を受けて行政機関が審査の上保険金或は補償金の交付を行なうこととした場合においては、たとえ通常詐欺罪の構成要件にあたる欺罔行為が担当係管になされ、その結果元来交付を受け得ない保険金の交付がなされたとしても、単純に通常の詐欺罪を適用すればこと足りるとすることは、立法政策上問題があろう。

現行の各税法において、いわゆる詐偽その他不正の手段による税のほ脱行為と受還付行為を特殊の犯罪類型として罰則規定をおいているのであるが、このようないわゆるほ脱犯や受還付犯については、それが詐欺罪としての定型性を欠くものとしてなのか、特別の処罰規定の存在することによるものなのかはさておき、いづれにしても詐欺罪の成立の余地がないとするのが通説である。この際特に留意を煩わしたいのは、税の受還付犯について、財物たる金員の交付行為がありながらこれをも詐欺罪に該たらないとされている点である。税のほ脱犯や受還付犯と本件のような担当係官を欺罔して輸出保険法に基く保険金を交付せしめる行為とを同列に論ずることはできないであろうが、犯罪の基本的な性格において軌を一にするものがあることは何人も否定し得ないところであろう。そして、受還付犯を含め脱税犯の法定刑が三年以下の懲役刑若しくは五百万円以下の罰金刑(情状により脱税額以下)とされていることは、この種の経済法規違反を中核とする犯罪類型について、刑法犯よりも軽く評価すべきものとしていることに外ならないのであるから、この間の事情は本件詐欺罪の量刑にあたつても充分考慮されるべきものと考えるのである。

(二) 本件輸出保険金の詐欺は、国の輸出保険事業の運営に殆ど支障を来たすような具体的結果を招来しなかつた。

すなわち、昭和三十四年から昭和四十二年までの輸出保険制度の運営状況は、通商産業省発行の昭和三十五年度以降の通商白書中から抜萃すると別表(一)のとおりである。右の表で明らかなように、昭和三十四年から同四十年まで毎年保険料収入は支払保険金額を大巾に上廻つており、右期間内(七ケ年)にいて

保険料収入合計 百二十八億八百三十九万九千円

保険金支払合計 七十二億八千四百四十六万九千円

となつており、差引五十五億二千百九十三万円に達しているのである。

本件で不正に支払を受けた保険金二千百二十五万二千三百七十五円は、昭和四十年三月に全額国庫に返戻されているのであつて、制度創設以来毎年度保険料収入が支払保険金を上廻つていることは、保険事業として収支の面からみるならば極めて健全に運営されてきていたものといえる。

また、本件犯行のあつた昭和三十六年中における普通輸出保険中の個別保険のみを通商白書から摘出してみるならば、

引受件数 五、八一八件

保険金額 七、六六八、二六九千円

保険料 二七、七五四千円

支払件数 一二件

支払保険金 二二、七四八千円

となり、当該年度の個別保険の運営という限られた範囲でみても、受入保険料の枠内で保険金の支払が行なわれているのである。

右に述べた事情に徴するならば、株式会社平岡の不正に受領した保険金の額は必ずしも小さなものではないけれども、当該年度においても、その後の各年度においても、国の行なう輸出保険制度は、収支面から国庫の負担を伴わず健全な運営を続けてきている。そして、本件の保険金の支払がなされたからといつて、それによつて他の保険金支払に支障を来たすとか、保険の申込があつても引受を制限しなければならないとかいう結果は生じなかつたし、保険料率を引上げる、すなわち割増保険料の懲収をしなければならないという結果も起らなかつた。このことは、被告人等の犯行が幸にも国の輸出保険事業において、国庫に実損を加えることなく済んだといつてよい。また制度の運営を少しでも困難ならしめるようなこともなかつたのであるし、他の輸出業者に直接、間接の被害を蒙らしめることなく済んだともいい得るのである。

なお附記するならば、昭和四十一年度、同四十二年度においては従前と趣きを異にし、支払保険金が保険料収入を大巾に上廻わつた。これは、通商白書によれば、インドネシヤ国立銀行の外貨送金遅延による輸出代金回収不能及び輸出不能によるものとアラブ連合中央銀行の外貨送金遅延によるそれによるものが多額を占めた結果である。インドネシヤの政変スエズ地域の紛争という異常事態の発生が原因となつたわけである。

(三) 本件は、担当係官が充分なる審査を行なわなかつたため保険金の交付にまで至つたものであり、この間の事情は量刑に相当重大な影響があると考えるのであるが、原審判決はこの点についての配慮を失している。

本件において担当係官がどのような審査を行なつたかについては、原審証人加藤準の供述するところであるが、その供述によつて明らかなとおり、保険金の支払に至るまでの審査には重大な過誤がある。すなわち、同証人も供述するとおり被保険者たる輸出者には損失軽減義務が存する。このことは、輸出保険法第五条第一項に、政府が輸出者にてん補すべき額は輸出契約による貨物代金の額又はその代金の額のうち回収することができなくなつた金額から輸出貨物の処分その他損失を軽減するために必要な措置を構じて回収した金額又は回収し得べき金額を控除することと規定していることからも明らかである。したがつて、輸出保険支払に従事する係官は、具体的ケースにおいて、被保険者側が損失軽減義務を完全に履行しているか否かを調査究明しなければならないのである。

しかるに、本件の場合担当係官は被告人側から提出した書類を書面審理する以外には、日本雑貨輸出組合長に対し、文書の照会を行なつたのみである。これは不完全な審査といわざるを得ない。右照会の結果は審査上の一資料にとどまり当然生産の停止により損失を発生したとする米満化学の当事者に事情をただし、いわゆる実地踏査によつて完成品、半製品その他の処分がいかになされたかを明らかにしなければならないのである。このような調査を行なつていれば、本件のような拙劣幼稚な保険金の支払請求の場合直ちに損失発生の虚偽であることが判明したはずである。当時この種の保険事故について従来前例がなかつたとか、担当係官の知識が不足で、かつ不馴れであつたとか、人手不足であつたとかいう事情があつたからといつて、保険事業運営上当然なすべき取扱を怠つたことに相違はない。そうだとするならば、その事務処理上の過怠が本件を保険金の交付にまで至らせたものといわざるを得ず、本来は未遂にとどまるべき事案が既遂にまで達してしまつたということもできるのである。

なお輸出保険制度が創設以来黒字経営を続けてきたことが、担当係官に必要にして充分な審査を怠らしめた原因となつていたであろうことは理解できるところである。長い間審査基準すら定められなかつたことは、個々の担当係官のみでなく通商産業省自体黒字経営に馴れ、保険事業運営の基本を忘れていたことを示すものといつても過言ではあるまい。

以上述べたことは、勿論被告人等の本件行為そのものを醇化するという趣旨ではないのであつて、このような事情を本件被告人等の量刑に十分参酌さるべきであると信ずるので特に申し述べた次第である。

第三、法人税法違反について

一、本件法人税法違反については、被告人平岡は捜査段階以来原審公判廷においても脱税事実自体については何等争つていない。そして弁護人は、原審の審理を通じ問題となつた井上商会勘定と協和銀行神田支店滝口登名義の預金口座について(一)、井上商会は株式会社平岡と范周平との匿名組合であつて、同商会名義で行なわれたトランジスタ・ラジオの輸出による所の帰属主体は株式会社平岡ではないこと、(二)滝口登名義の預金勘定は滝口登名義で行なつた被告人平岡とその友人滝口登との共同の保険代理店業務の収入を預け入れていたものであること等について主張したのに、原審判決においてはすべてこれを否定されたのであるが、右二点について原審判決の事実認定のとおりとしても、次のとおりの情状を勘案するならば、本件は決して脱税犯として悪質なものでないのであるから十分な酌量がなされるべきものと考える。

(一) 株式会社平岡の脱税は、船会社からのリベートを受領することから発生した。すなわち、このようなリベートは正規の帳簿に記帳処理できない性質のものであつたことから、これを簿外処理したことに端を発したもので、本件のほ脱所得の内訳をみると右のリベートの他その後の貿易管理法令に違反する、不正な、それが故に公表し難い所得がその大半を占めている。井上商会の事業所得をも株式会社平岡の所得として算入するならば、全所得の八五パーセント強までがその範囲に入ることとなる。結局それらの所得を公表し難かつたことから連鎖反応的に脱税の結果を招来したもので、本件は脱税を本来の目的とした通常の脱税犯と著しくその性格を異にし、脱税犯として悪質なものではない。

(二)被告人平岡にもその脱税に関与した他の社員にも、税ほ脱の強く、かつ明確な目的意識のなかつたことは原審の審理を通じて被告人平岡等が申し述べたとおりである。故意犯としての故意犯において、行為者としての責任評価をなすに当たつては、その主観的意図が奈辺にあつたかということが重大な要素の一つである。

(三) 株式会社平岡は、起訴された当時はもとより査察を受けたことにより更生を受けた昭和三十五年二月期、同三十六年二月期の各期とも法人税の本税、利子税、加算税、及び関係地方税の本税、利子税、加算税のすべてを昭和四十一年七月末までに完納している。その税額の合計は二億二千二百四十九万九千四百円の多額に達する。社長以下主要幹部社員の逮捕、勾留の後において会社が内外とも重大な事態に立ち至り、特に金融機関の冷酷な処遇により資金繰りに重大な支障をきたしにも拘らず、納税の早期完了を検挙後の第一目標とし、会社は極めて短期間のうちに全額の納付を達成したのである。これは、被告人平岡が鋭意社員を督励し、営業上の支障をも省りみず納税に努めた結果に外ならない。

(四) 株式会社平岡は、本件脱税の摘発を受けたことにより青色申告の取消処分を受けた。この結果前記(三)に記載した三期分のみをとつても、青色申告の取消がなされなかつた場合との税額の差は法人税のみで四千八十一万三千五百六十四円となる。地方税が加算されるならばその金額の差は更に大になる。

また右三期分の法人税の重加算税は、二千百八十三万四千百円である。かくて脱税の適発による税法上の制裁として、本来の税額以上に納付しなければならなくなつた金額は地方税を除き法人税関係だけで実に六千二百六十万円余に達するのである。行政罰として課せられたこれらの負担は、脱税の結果として法律上当然のこととはいえ、発展途上にあつた未だ経営基盤の確立していない中小企業としての株式会社平岡にとつていかに過酷な制裁であつたは敢えていうまでもないであろう。なお行政罰として重加算税を課せられた者に対し更に刑事上の責任を問うことが二重処罰に該らず、憲法第三十九条後段の法意に反しないとする判例はあるが、行政上の制裁に課せられ、その完全な履行がなされていることは量刑において十分に参酌されなければならないと考える。

(五) 本件の脱税は、被告人平岡や関係社員が個人的に利得を得ようとして企画、実行されたものではない。普通の脱税犯においては、通常代表者や関係役員等がその所得の一部を自己の個人資産化していることが多い。しかるに、本件の脱税に係る所得はそのまま会社に留保され、被告人平岡において個人的に私腹を肥やすが如きことをした事実は全くないのである。これはひとえに、被告人平岡の事業傾倒に対する私心のない誠実さを物語るもので本件の特殊性として強調したい。

(六) 被告人平岡は、本件脱税について深く反省し、その後においては、企業の健全な発展のためには公明な経理処理、したがつて遵法精神に則つた税の申告納付が必要であることを痛感し、誰にも恥ずることのない経理事務の遂行を経営上の重要方針として会社運営を行なわせるよう努力し、その後の会社は、およそ脱税につながる如き処理は一切これを排し、国税当局からも称賛を受けているのが現状である。いうまでもないところであるが、脱税についておよそ再犯の虞は全くないのである。

(七) わが国にとつて、国民経済の発展は外国貿易の伸張、特に輸出の振興にまつところが極めて大きい。そして国家財政もまたその基盤の上にたつて初めて健全な展開を期待し得るのである。株式会社平岡は、昭和三十二年三月創業以来昨昭和四十三年までの約十二年間に合計約四百九十三億円余(約一億三千七百万ドル)に達する輸出を行なつてきた。会社はこの間にこれだけの外貨を獲得したわけである。中小企業として、右の数字はまことに見事な、驚嘆すべき輸出実績といつて過言ではない。そしてその数字こそ被告人平岡の長年にわたる営業に対する執念と努力の結果を示すものなのである。なお右の輸出実績がいかに大きなものかということは、昭和四十二年度のわが国の輸出額が初めて百億ドル台に乗り、総計百四億四千百五十七万二千ドル(一九六八年版通商白書による)になつたことと対比するならば一目瞭然であろう。

株式会社平岡は、脱税によつて国家に損害を与えたとはいえ、外貨の獲得により一面において直接、間接に国家財政のため多大の寄与をなしているのであつて、右の事情は有利な情状として十分勘案されて然るべきものと考える。

(八) 株式会社平岡については、原審において罰金一千万円の刑の言渡しを受け、控訴中であつたが、すでにこれを取下げ右刑は確定した。確定した罰金は、会社としては万難を排して近く納付することとなつている。この事情は被告人両名の量刑に際し特に考慮賜わりたいと考える。

第四、一般的情状について

本件の一般的情状については、他の弁護人の控訴趣意を援用するが、本弁護人は次の三点を特に強調いたしたい。

一、その第一は米国等の不当な輸入制限についてである。

本件詐欺は、米国のゴム履物の輸入制限がその原因である。また本件脱税を敢えてせざるを得なくしたトランジスター・ラジオの不正輸出やゴム履物の不正輸出は米国、カナダの輸入制限に起因している。およそ世界の貿易は完全自由化を目標に進んでいるのであるが、先進国である米国やカナダが自国の特定産業保護に偏した輸入制限措置や輸入制限運動を容認することは、このような世界の貿易の大勢に逆行し、その発展を阻害する国際的に極めて不当な処置といわなければならないのである。

わが国においては、政府が必要以上に米国等西側先進国の通商政策に従属する傾向が強かつた。しかし最近に至つて、従来の経済外交のあり方に真剣な反省ななされるようになり、わが国としては不当な輸入制限の撤廃を求めるべきである旨の態度を表明するに至つた。現に昭和四十三年版通商白書は、総論二二二頁以下においてこの輸入制限の問題を採り上げ、

「輸入国における競争産業保護の建前から、現在、わが国を含む特定国の若干の産物に対して、差別的な輸入制限が行なわれており、しかもこの動機は、時として新たな品目に対しても拡大されることがある。従来わが国の輸出品の中で構造的に競争力があるとみられていた軽工業品についてこのような動きが出るばかりでなく、電子機器等の重工業製品に関してもこの動きがみられるようになつたことは警戒を要する点である。わが国輸出品の重工業化の進展につれて、重工業品に対する輸入制限の動きがふえるかもしれないが、わが国としては、このような動きに屈することなく、先方の非をついてその徹回を求めるべきである。なお、わが方の自主規制は、経済外交上の努力その他により漸次これを廃止すべきであろう。」と述べている。また右白書は国際カルテル等に対する警戒を説き、結局「国際貿易における不当な制限的慣行は、これを容認してはならない。」と強い態度を打ち出していて注目される。

飜つて考えるに、本件は、いづれも相手国の不当な輸入制限措置に対抗して輸出を拡大せんとした結果生じた不詳事であつたのである。本件の量刑に際しては、その背景となつたこれらの事情を十分理解されることが最も肝要であると信ずるのである。

二、次に、株式会社平岡の外貨獲得の面における貢献がいかに大きなものであつたかについて申し述べる。

(一) 株式会社平岡が、会社創立以来昨昭和四十三年末までに合計四百九十三億円余にのぼる輸出を行なつてきたこと及びその金額が昭和四十二年中のわが国輸出総額の約一パーセントに当たる多額のものであることについては、すでに法人税法違反についての情状の一つとして述べたところであるが、中小企業としての輸出業者にとつて、それが並並ならぬ金額である所以を統計の面からみることにしたい。

貿易業者とは、輸出・輸入業を行なう者、自己の生産した貨物の輸出を行なう者および自己の生産に直接使用する原材料または燃料の輸入を業として行なう者等をいい、いわゆる商社のみならず製造業者などを含むのである。昭和四十三年度版通商白書によれば、貿易業者のうち商社(卸売業及び小売業を主たる業とする者をいう)の企業数は五、五七八に及び、その取扱額をみると、わが国輸出総額の七一・六パーセント、輸入総額の八一・四パーセントであり、商社が貿易の主体であることを示しているのであるが、このうち年間売上高一千億円以上の商社が二十一社あり、その二十一社だけで実に輸出総額の六二・六パーセント、輸入総額の七三・七パーセントを扱つているのである。したがつて年間売上高一千億未満の商社は輸出総額の七パーセント、輸入総額の六・六パーセントを扱つているにすぎないのであつて、中小規模商社の全体に占める比重は逐年低下しており、それら商社の貿易活動のきびしさが如実に現われている。

このようにみてくるならば、株式会社平岡の過去十二年にわたる輸出実績が、中小規模の商社としていかに立派な、驚嘆すべき数字であるかが何人にも理解されるものと考える。

(二) 次に、外貨獲得の面における貢献度を論ずる場合には、輸出実績の質的な考察を忘れてはならないのである。

株式会社平岡においては、従来ゴム履物その他の雑貨及びラジオを主とする民生用の電気機器が輸出商品の全べてであった。これらの商品は、いづれも労働集約的商品であり、原材料は殆ど国産品で輸入品に対する依存度は極めて少ない。輸入依存度の高いゴム履物であつても、原材料は合成ゴムであり、輸入依存度は少なく、販売額の五パーセントないし七パーセント位にしかすぎない。

例えば、輸出商品でも鉄鋼の如きはその輸出金額は大きいけれども、原材料の輸入依存度が高いのであるから、外貨獲得の面では実質的にその貢献度は低いのである。このような事情を考えると、株式会社平岡の外貨獲得の面における貢献度は高く評価されなければならないのである。

また近時輸出商品中重化学工業品の占める比重が大きくなつてきているが、戦后におけるわが国の輸出は、軽工業品を中心として伸展してきたのであつて、雑貨その他の軽工業品の輸出の伸長が、わが国経済の発展の基盤を形成するのにいかに寄与してきたかはいうまでもないところである。このような観点よりしても、株式会社平岡の輸出実績は高く評価されて然るべきであると信ずるのである。

三、最後に、株式会社平岡の現状と今後について申し述べる。

株式会社平岡は、昭和四十年一月の被告人平岡等幹部社員の検挙後、あらゆる面で、その体質の改善が意図され、着着それが実現に移され、まさに面目を一新しつつあるのが現状である。

被告人平岡は、再び従前の如き不詳事を繰り返えすことの絶対にない、健全な営業と会社経営とに全力を注ぎ、一歩一歩着実に成果を挙げつつあるのである。また株式会社平岡の関連会社である海外現地法人を強化し、その有機的結合により、輸出業者として確固たる地盤を育成し、輸出業者として大いに国家社会に寄与しようと計画し、その実現を期している。

今や株式会社平岡は、被告人平岡がその経験と才能を遺憾なく発揮することによつて新たな局面を開拓せんとしてその緒についたところなのである。

このような重大な時期において、本裁判の結果如何によつて被告人平岡を一時的にせよ失脚させるようなことになれば、単に一企業としての株式会社平岡の浮沈にかかわる重大事であるのでなく、国家的見地からみても、その損失は多大のものであると本弁護人は確信するのである。

この間の事情を賢察願い、被告人等には是非とも執行猶予の判決を賜わりたいと考える次第である。

別表(一)

輸出保険運営実績表

〈省略〉

〈省略〉

控訴趣意書

詐欺等被告事件

被告人 平岡信生

同 三宅栄二

右事件についての控訴の趣意は左のとおりであります。

昭和四四年一月 日

右弁護人 小林健治

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

目次

第一点 事実誤認・・・・・・一〇五二

第二点 量刑不当・・・・・・一〇五二

一、序論・・・・・・一〇五三

二、本件詐欺罪の罪質の周辺・・・・・・一〇五四

1. 動機目的について・・・・・・一〇五四

(一) 貿易取引の特殊性について・・・・・・一〇五五

(二) クレームによる株式会社平岡の実損・・・・・・一〇五八

(三) A・S・P課税問題の推移と各種スニーカーの関発、輸出状況・・・・・・一〇五九

(四) A・S・P課税の不当性と業界並に株式会社平岡の対応措置・・・・・・一〇六一

2. その後の経過、A・S・P課税の危険が去らないこと、虚偽の必要書類の作成提出について・・・・・・一〇七七

3. 通産当局の本件保険金請求に対する審査査定について・・・・・・一〇七八

三、犯罪後の情況・・・・・・一〇七九

四、被告人らの身辺事情・・・・・・一〇八〇

1. 平岡被告について・・・・・・一〇八〇

2. 三宅被告について・・・・・・一〇八一

五、株式会社平岡の輸出実績と量刑との関連・・・・・・一〇八一

六、時の経過、特別予防、一般予防・・・・・・一〇八四

七、詐欺罪以外の犯罪事実について・・・・・・一〇八五

1.平岡被告告の法人税法違反罪について・・・・・・一〇八五

2. 三宅被告の贈賄罪について・・・・・・一〇八六

八、結語・・・・・・一〇八九

第一点 事実誤認

原判決中三宅被告に対する賄賄の点につき事実があつて同被告人に関する判決は破棄さるべきものと思料いたします。

その理由は後記「第二点の二の七の2三宅被告の贈賄罪について前段」において開陳いたします。

第二点 量刑不当

原判決の両被告人に対する刑の量定はいずれも著しく不当と思料いたします。原判決を破棄のうえ、より軽き刑、そして懲役刑について執行猶予を付せらるるよう切望するものであります。その理由は次のとおりであります。

一、序論

本弁護人は、当審において選任されたので、原審の審理状況を直接には知りませんが、本件記録を検討し先づ、本件は量刑甚だ困難な案件であると感じたのであります。被告人らに責めうるべき点-特に詐欺の公訴事実については-が相当ある半面参酌さるべき有利な情状が多々存すると考えられるのであります。卒直にいつて本件は実刑を科すべきか執行猶予を付すべきか、ボーダーラインにある条件と思われるのであります。

疑わしきは、被告人の有利にみて罰しないとするのが刑事裁判の鉄則であることは申すまでもありません。刑の量定に当つて執行猶予を付すべきか実刑を以て臨むべきか中間帯にある事案が相当あるわけであります。かかる事案については、被告人の有利に解し執行猶予を付すべきであるとするのが、本弁護人の多少の刑事裁判の経験からする信念であります。

おそらく原審裁判官も被告人らは執行猶予を与うべきか否かについて悩まれた事と思はれます。ご当審におかれて百尺竿頭一歩を進めて後に述べるように懲役刑について執行猶予の恩典を賜り度いのであります。本件犯罪事実は平岡被告に対する詐欺、法人税法違反、三宅被告に対する詐欺、贈賄でありますが、その量刑の中核は詐欺の事実でありましよう。よつて先づ本件詐欺事実の罪質の周辺を検討し、次で法人税法違反、贈賄について申し述べ度いと思います。

二、本件詐欺罪の罪質の周辺

1. 動機目的について

本件の詐欺は、原判決がいうように「輸出保険制度を利用し、約一年間数次にわたり虚偽内容の文書を作成したり、一部文書の偽造までして通産当局を欺罔したものであつてその手段は周到綿密であり、被害の点も、全額弁償されたとはいえ、まことに多額で詐欺犯としては悪質な犯行である……」(二八頁)とし、「被告人らは当公廷において、その動機として米国におけるA・S・P関税制度の不当な拡大実施によつて弱少輸出企業である被告会社が多大の損失を受ける危険にさらされたため、将来発生するかも知れない損害を慮つて本件に及んだ旨供述するが、右事情それ自体は理解できるにしても、右危険が去り犯行を断念する余裕が充分あつたことを考えると、これをもつて被告人らの罪責を軽減すべき事情とみることはむつかしい。」(二八頁)と説示しております。

さすがに、検察官の冒陳において、そうであるように、原判決は、A・S・P課税問題が起きたのを「奇貨」として輸出保険制度を利用し、とは認定しておらないようであります。

しかし、〈1〉A・S・P関税の不当拡大により多大の損失を受ける危険にさらされたため、将来発生するかも知れない損害を慮つて……とする陳弁、事情はそれ自体理解できるにしても、〈2〉その危険が去り犯行を断念する余裕があつたのにこれを遂行し、〈3〉その手段は周到綿密であつて、騙取金員の全額を弁償したりした犯罪後の情状を斟酌しても実刑に処することは止むを得ないとしておるのであります。

そこで、先づ、本件詐欺の動機目的を記録に顕れた証拠から検討してみたいと存じます。

よく堀下げて見ると本件詐欺事犯は貿易業の特殊性をふまいて、その上米国のいわゆるA・S・P課税という行政措置に振廻された。むしろA・S・P課税が次々と各種スニーカー(運動靴)に適用され、これを原因とする輸出契約のキヤンセルによつて損害を生ずることに困惑しおびえた。換言すればこのA・S・P課税におそれおののき将来発生することあるべき危険をカバーしようとしたことに基因する犯罪であつて、純粋な自然化たる詐欺罪とみるよりむしろ、経済事犯としての性格が極めて強いことが判るのであります。

そこで貿易業の特殊性と、A・S・P課税問題を究明しなければならないと思いますので以下これを略述いたします。

(一) 貿易取引の特殊性について

貿易取引が危険負担が多く、投機性を内包しておることは本件記録の諸所に散見いたします。事実われわれは新聞紙上等でクレームとかキヤンセルとか、国内取引にはあまり見当らないような記事をしばしば見受けるのであります。

学者は

貿易クレームの第一の特質は、もともと貿易売買契約が、未履行条件付売買であるという特異性に関連しておるということです。貿易クレームの原因別の分類例でわかるように、品質不良、品質相違……など、どの一つをとつてみても、みな貿易売買契約独自の性質に原因しています。

では、この貿易売買契約の性格とは、具体的になんでしようか。この点は国内的な売買、とくに国内での店頭売買と比較してみると、明確に理解できます。国内の店頭売買ですと、売買の合意があつた時には、商品はすでに特定化されており、しかもその特定化された商品は、いつまでも引渡される状態にあります。

従つて、売買の意思表示と、その履行としての商品引渡しは、同時交換的に行うことができます。そこでこのような契約を絶対的無条件的な売買契約、あるいは契約の成立とほとんど同時に契約が終わつてしまうところから履行済売買契約ということができます。

これに対し貿易売買契約は、つねに条件付契約の性格をもつています。売買の合意が成立しても、まだ商品は特定化されず、これから製造にとりかかる場合がほとんどです。その引渡しも、数カ月後に行なわれます。

したがつて、売買契約が成立しても、売買契約で取り決めたいろいろな条件を履行しないかぎり、契約品の所有権を買手に移転できません。つまり店頭売買にみられたような物権的な売買ではなく債権的、双務的な未履行条件付き売買ということになります。

しかもこの貿易売買では、契約成立前の段階において、言語、風俗、慣習、制度、法律などが違うため、意思の疎通を欠いたり、誤解を生ずることも多いのです。こうしたむつかしい事情があるので、未履行条件そのものがややもすると不安定で不完全なものになりがちです。さらに、契約が成立して、それを履行していく段階でも、またいろいろとむつかしい問題があります。

たとえばわが国の場合ですと、国内市況の変動が激しいうえ、輸出商品のほとんどは、内需向けに転用できない特殊な規格品が多いなどの事情から、未履行条件のすべてを完全に履行していくには、貿易取引についての正しい知識と経験が必要です。(明大教授石田貞夫著貿易の実務一七八頁)

といつており、また、

最近のわが国輸出品に対する貿易クレームの大部分は、実は米国からのものです。最近の貿易クレーム件数を提起国別にみると、米国が筆頭で全体の三五%、以下インド、香港がそれぞれ五%、パキスタン、南ア連邦、英国がそれぞれ四%、シリヤ、セイロンがそれぞれ三%の順で、この順位と比率は毎年ほとんど同じです。

米国の輸入商は、売り手にどんなささいな契約条件違反があつた場合でも、単に損害賠償という未消的な手段で解状しようとしないで、場合によつては引き取り拒否、全量返送など契約そのものの取消しや、破棄に訴えて、自己の立場の再調整を図る傾向がつよく見られます。したがつて対米貿易の場合は、とくに米国の商慣習に注意し、どんなささいなことでも契約条件に違反がないように注意する必要があります。(同書一八二頁)

と書いてあります。

本件当時の株式会社平岡の輸出の八〇%は米国向けのものであることは本件記録で明らかであります。

平岡は、いかに、この米国バイヤーを相手として苦心して来たか次のクレームによる平岡の実損をご覧願いたいのであります。

(二) クレームによる株式会社平岡の実損

原審において弁護人側から提出した「クレームに関する調査」なる書面、原審第九回公判における証人伊東吾一郎の証言-これらを要約すること。

品質クレームだけについての集計なのですが、その内メーカー側に責任があるもので、株式会社平岡がバイヤーに支払つた金額は昭和三五年一一月現在で一、四三三万円余、その内メーカーから取立ができない金額一、二三六万円余。同年一二月から昭和三六年四月迄に支払つた金額一、一八三万円余、右四月現在でメーカーから取立ができない金額の累計一、九五四万円余、同年五月から昭和三六年七月迄に支払つた金額一、一五四万円余、右七月現在でメーカーから取立ができない金額の累計が二、六三七万円余であることがわかるのであります。これは先にいつたように品質そのものに瑕疵がありメーカーの責任であるものとして平岡がバイヤーに支払い、平岡がメーカーからこれを取立てることになつたものだけの数字であります。その他平岡自身の責任とされておるもの例えば不完全包装とか破損とか船積遅延とかの損害賠償を含めると更に多額のクレーム実損を蒙つておるのであります。メーカーの責任であり、これが、取立てるといつても中小工業としてのメーカーには負担能力が少なく、結局は平岡がこの取立不能による損失を蒙ることになるのであります。

貿易業者はこのクレームをいかにして回避しかつカバーするか常に頭をいためていなければならないわけであります。

それに、大手貿易商社以外の中小業者は、バイヤーから寄せられてくる引き合を待つて見本を送り取引をまとめているのでありまして、いわば偶然の成功を待ちのぞむばくち的な受身のやり方をやつておるのであります。バイヤーはその時その時の自己の利潤をまつ先に追及するのでありまして、いつ取引ルートを鞍替えするかわかりません。バイヤーサイドの取引の場合には、つねに、バイヤーにふりまわされて挙句の果てには元も子もなく、放り出されるということになるといわれておるのであります。(同書九頁)平岡とても例外ではありません。常にこうした危険にさらされていたのであります。そこへ当時平岡の主要取扱品であつた履物-特にスニーカーにA・S・P課税問題という更に大きな、難問題が起きたのであります。このA・S・P課税問題の推移と、各種スニーカーの開発、変遷を顧ると株式会社平岡を初め中小スニーカー輸出業者及びこれにつながるそのメーカーが米国バイヤーに振り廻され踊らされていたことが判明するのであります。これを一瞥してみたいと存じます。

(三) A・S・P課税問題の推移と各種スニーカの開発輸出状況

A・S・P課税問題については原審において検察官も立証し弁護人側も多くの証拠を提出しておりますので詳述を避けますが、原審証人高島定の(第九回公判)証言及び原審において弁護人から提出した「米国向けゴム底靴の輸出とA・S・P課税適用の推移について」によつて明らかにされております。これを念のため、これを鳥瞰的に記述しますと、

このA・S・P課税(アメリカン・セーリングプライス)なるものは一九三〇年に公布された「歳入を確保し海外通商を調整し米国産業を振興し米国労働者を保護しその目的を有する法律」第二章三節三三六条に基くものといわれ、大統領は、関税委員会の答申によつて国内産業を保護する為、外国の輸出価格を基準として課せられておる輸入品に対し、米国市場価格を基準として関税を課し得る旨の布告をすることができるというものであります。これを本件で問題になつたレーヨン、スニーカーの場合、日本のF・O・B価格(輸出国港の本船渡し価格)は大体五〇セントであり、これに対し二〇%即ち一〇セントの輸入関税が課せられたのでありますがこれにA・S・P課税を適用されれば当時の米国の市場価格は二ドル六五セントであつたので、この二〇%即ち五三セントの課税となる訳であります。原価より関税が高くなるという輸入禁止的課税であります。もとよりこの輸入関税は米国側バイヤーが納入するのでありますが、バイヤーはこれが適用になれば当然のことのように直に輸出契約をキヤンセルするのであります。輸出業者及びメーカーは莫大な損失を蒙るのであります。

日本からの安いスニーカーに対する需用が旺盛なので、米国バイヤーはある種スニーカーにA・S・P課税が適用されると、次次に、これに該当しないスニーカーを考案し、その製作をして輸出を日本の貿易業者に要請するのであります。何時A・S・P課税問題が起きてキヤンセルされるかも知れない不安におびえながらも、生きていかなければならない日本の弱い履物輸出業者はこれに応じて来たのであります。

本件に関係あるスニーカーにA・S・P課税問題がおきたのは、

A 昭和八年二月一日「コツトン・ラバー、シユウズ」(ゴム底で胛が木綿布の運動靴)に始まるのであります。

B そこで、米国のバイヤーは「皮ベロ・スニーカー」(ベロの部分をゴムではなく皮革を用いる)なるものを考案して、日本の輸出商に注文し輸出商はメーカーに作らせてこれを盛んに輸出していたのですが、これが昭和三三年九月、A・S・P課税となつてこの輸出もできなくなつたのであります。

C 次に米国バイヤーは「東洋クロス・スニーカー」といわれる胛を東洋特産のミツマタで作つた紙布にしたものを開発して日本の輸出業者に注文して来たのであります。これが非常な売行きを示し、輸出業者、メーカーは大々的にこれに力を入れたところが、昭和三五年五月頃、A・S・P課税問題が起り、近い将来A・S・P課税に踏切るかも知れないとの告示がなされ、輸出が止まつたのであります。これによつて、原材料を多量に抱えた神戸地方のメーカーや輸出業が多数倒産するという事態を引起してしまつたのであります。

これと前後して、本件で問題になつている「レーヨン、スニーカー」(胛にレーヨンを使用する)が同様米国バイヤーの考察するところとなつて注文があり、これが相当量の輸出をみたのであります。

昭和三五年秋頃になつて、このレーヨン、スニーカーも東洋クロス、スニーカーの同様A・S・P課税の対象にされるのではないかとの噂が 流れ・・・・には適用のおそれ十分あるとの情報が入り輸出業者及びメーカーは全く戦々競々として、あるいは輸出を中止したり、製造を中止したりするメーカー業者もでたのであります。

果たせるかな、昭和三六年一月適用するかも知れないとの告示となり、同年四月一二日この両者にA・S・P課税を適用することになつたのであります。

D 昭和三六年初頃、またまた、米国バイヤーによつて底にゴムではなく合成センイを使つた「スチレンリール、スニーカー」が考案されて、注文があり輸出されるようになりました。株式会社平岡においても、レーヨン、スニーカーと共にこのスニーカーを輸出しておりました。

しかし、これとても、A・S・P課税問題が何時起るかわからない状態であつたのであります。事実、昭和三七年三月にはこのスニーカーにもA・S・P課税が適用されております。

(四) A・S・P課税の不当性と業界並に株式会社平岡の対応措置

この課税は甚だ不当のものであります。元来米国で製造されておる品物についてその業者を保護する建前であるのに、米国では製造されていない東洋クロス、スニーカーとか、レーヨン、スニーカーとか新規の別個のスニーカーにゴム底コツトンスニーカーに類似性(シミラリテー)があるとして次々次に課税の対象とするのであります。

業界ではこれに対処すべくその方策を政府に再三陳情しております。

しかし、日本の政府の対度は甚だ消極的で、米国の内政干渉になるとして腰を上げないのであります。業界は止むなく、駐在員をわざわざ米国に派遣したり、米国の弁護士を依頼したりして米政府の出方を注視するとともに自らその対策に没頭したのであります。

レーヨン、スニーカーに対するA・S・P課税問題が取りさたされた昭和三五年暮、株式会社平岡の被告人平岡、三宅等の主脳陣は、このレーヨンスニーカーの輸出を断念すべきか慎重に考慮した結果、強気に、他の業者が尻込みしておる時こそ活躍すべきであると進路を決定し、レーヨン、スニーカー、及び当時開発されたスチレンリール、スニーカーの輸出に踏切つたのであります。

A・S・P課税近しとするにおいては、駈け込み的に、非常に納期の短い注文があることは必至であります。これに応ずるには前以てメーカーに製作を継続的に発注し相当のストツクを持たなければなりません。株式会社平岡はその途に出たのであります。米満化学その他に引続いて発注しておつたのであります。

この駈け込み的商談があつたことは原審において提出した「ゴム底布靴同類似品輸出船積状況」と原審証人伊東吾一郎の証言(第九回公判)によつてわかるように極端の場合、昭和三六年一月二六日受註したものを同月三一日船積しておるのであります。

この状況下においてメーカーは注文されたものは全部そのまま引取つて貰はなければ困る。A・S・P課税が適用された、キヤンセルされた、品物は引取れないというようなことでは困る、完全引取りを確約してくれなければ注文に応ずることはできないと申し出たことは当然すぎる程当然のことであります。

株式会社平岡の神戸営業所の原審相被告人増田実がメーカーからこうした要求を受け同滝口譲を経て本社の三宅被告への進達となつたのであります。

三宅被告は社長平岡被告にこれを伝えて協議した、A・S・P課税によつてキヤンセルされた場合、何んとか平岡とメーカーの損失をカバーする方法は無いだろうが、三宅被告が調べたところ、当時はいわゆる履物については包括保険が通産省と業者組合との間に取りきめられていないということが判つたのであります。

包括保険といいますのは普通輸出保険(輸出保険法第三条)の一種であつて、

保険申込希望者が政府と特約をして、自己の輸出取引のすべてについて自動的に保険がかかるという制度であるが、商品別、輸出組合別と称されるもので、輸出組合と政府との間に一年間の特別契約を締結し、一定の商品に係る組合員の輸出契約のすべてについて有動的に保険がかかるもの(検察官の冒陳添付別紙一、5の1のb参照)

であります。これが履物について締結されているならば、輸出業者は輸出契約を輸出組合に提示することによつて、即時に政府との間に保険契約を結んだことになるのであります。

この制度がありさえすれば、事前にメーカーに発註しておいてどんな駈け込み的申込にも、不安くして応ずる事ができるのであります。

この時点においては履物についてはこの特別協定がなかつたのであります。そうすれば、これに代るべき方法を考えなければなりません。

個別保険を締結するにはいろいろの手続が必要であります。日時も要します。また、A・S・P課税近しとあつては政府が保険契約申込に応じてくれるかどうかの不安もあります。そこで三宅被告は前以てこの個別保険に加入手続をしておいて、万一レーヨン、スニーカーにA・S・P課税が実施され又はスチレンロール、スニーカーにも及ぶことがあつたとしたらこれでカバーする外あるまい、当時株式会社平岡の一ケ月のスニーカーの輸出額は約五、〇〇〇万円であるからこの三ケ月分一五、〇〇〇万円の個別保険を締結しておいて万一に備えようと考えたのであります。

前に記述しましたように、輸出契約はクレームという点で常に危険を包蔵しておるうえに現実の問題として本件の場合A・S・P課税というさし迫つた明白な危険に真面させられたのでありまして、結果において過つた途を選んだ被告人らの行為は責めるべきではありますが掬すべきものがあると思はれるのであります。

この間の経緯について

被告人平岡同三宅原審相被告人増田実は原審に提出した上申書の中で

被告人平岡上申書八頁以下

ところが、A・S・P課税の危険は絶対にないと思つていた東洋クロス、スニーカーについても昭和三五年春頃になると、またまた米国の履物生産業者は、これにもA・S・P関税をかけるべきだと言う運動を起し、税関当局もその圧力に押されて東洋クロス・スニーカーに対してもA・S・P課税につき検討の余地があるとし、その関税査定を当分ペンデングすることを表明するに至りました。

六 米国側のこのような動向は、日本の履物輸出業や、履物メーカーにとつては全くシヨツクでした。特にスニーカーを主たる輸出商品とする平岡にとつては、まことに深刻な問題でした。

勿論日本の業界も黙つていたわけではありません。輸出組合等が中心となつて、この無法且一方的な関税政策について米国政府当局に抗議し、又日本政府に対しても善処方を要望しましたが、当時の日本の政策は、アメリカ一遍倒であつたためA・S・P課税問題について横から口を入れるのは内政干渉になるとの口実で何んらの手も打つてくれませんでした。

日本の商社は米国税関当局の態度から東洋クロス、スニーカーにA・S・P課税がなされることは、間違いないと言うことで、その輸出を手控えるようになりました。しかしながら株式会社平岡としては、今ここで東洋クロスニーカーの対米輸出を見合せることは、会社に致命的な打撃を与えますので近くA・S・P課税になる虞れはあつてもまだその実施時期が確定的でないA・S・P課税の幻影に脅えて輸出をやめるようなことはしませんでした。

むしろ日本の他の商社がA・S・P課税を懸念して輸出を手控えているときにこそ、これら消極的業者に代つて輸出を進めて利益を上げることができますし、又仕事がなくなつたメーカーに仕事を与えることによつて、その商社の取引メーカーを平岡側になびかせ今後のスニーカーの輸出競争に優位を占めることもできると言う考えで、当時あまり輸出業者間で利用されていなかつた輸出保険制度を適宜活用して引き続き輸出につとめたような訳です。

七、このように平岡では、他の商社が東洋クロス・スニーカーから手を引いてからも適宜輸出保険をつけたりして、バイヤーからの注文があれば、輸出をしていた訳ですが、三五年七月頃になると、バイヤーからの注文も途絶えましたので、これの代りとしてバイヤーによつて新に考案されたレーヨン、スニーカーの輸出に切り替えたのです。

この東洋クロススニーカーのA・S・P課税問題では、履物メーカーは同製品にA・S・P関税がかけられるとは全く予想もしていなかつたために将来の生産を考慮し、多量に原文や仕掛品を抱えていたので大きな損害を受けて再起不能となり倒産したものも少なくないと聞いております。

八、ところが、三五年一一月になつて、米国の税関当局は、レーヨン・スニーカーや東洋クロス・スニーカーはA・S・P関税適用のスニーカーと類似性があると言うことでA・S・P課税を考えているようだとの情報が入り、私達はスニーカー輸出の前途に容易ならぬ不安を感じました。

と申しますのは類似性の解釈如何によりF・O・B関税で輸出するために考案される新製品は、いづれもA・S・P課税が可能となり、その運用によつては日本製スニーカーの輸出は封殺されてしまう虞れがあつたからであります。

九、私は、このような米国の不当な関税政策に対し憤概すると共にA・S・P関税問題は多年築き上げた株式会社平岡の命とりともなりかねないと憂慮しました。当時履物関係の業界では米国生産業界の矛先を和らげるためにスニーカーの自主規制を考慮する方向に動いておりました。しかし私は、この業界の姿勢にはあきたらず、米国のこの無法な関税政策に闘を挑む一方、他の商社がバイヤーからの契約破棄をおそれて輸出を手控えているのを好機とし、積極的に輸出を押し進めて利潤を上げ、禍を転じて福にしようと決心しました。

勿論、それにはA・S・P課税実施にともなうバイヤーの抜打的キヤンセルの危険を或る程度覚悟しなければなりませんでした。

そこで、輸出保険を活用してその損害をカバーすることを考えていたのであります。

こういう方針は私がA・S・P課税問題に伴う会社の危機を切り抜ける方策として日夜考え抜いた末一応到達したもので、この私の考えは、その頃三宅部長や滝口課長にも話しております。

一〇、丁度その頃でした。三宅部長から神戸営業所の増田君から滝口君のところに、「神戸のメーカーがレーヨン・スニーカーに対するA・S・P課税によるキヤンセルを怖れて註文したものは全部責任をもつて平岡が引き取つてくれるのでなければ受註できないと言うことを洩しているので困つている」と言つて来たので、会社の方では保険をつけることにしているから心配するなとメーカーに返事しておくよう言つておいたとの報告がありました。

その際、私は三宅部長に将来成立するスニーカーの輸出契約をも含めて包括的に保険をつける方法があるかどうか調べてみてくれと頼みました。

若し、そのような保険のつけ方ができるのであれば、将来予想されるA・S・P課税による危険を包括的にカバーすることにより臨機応変に商機をつかんだ利潤を上げることができると考えたからであります。

一一、間もなくして三宅部長から「いろいろ調べてみたが、現在のところそのような包括的な保険制度はなく、普通輸出保険としては輸出契約毎に保険をつけるより方法がない。しかし、それではとても煩雑でやりきれないし、A・S・P課税の噂さが高まると、所謂駈け込的註文による短期取引が多くなり、契約内容が細部迄確定し正式に輸出契約書を取り交す前にメーカーに生産の手配をしなければならないし、又、註文から船積の間まで日時が余りないこともあつて、予め見込みでメーカーに発註しておかないとバイヤーの註文に応じ難いこともある。それで、若し、正式のスニーカーの輸出契約以前にメーカーに対して発註し生産にとりかからせておきながら、後になつてその輸出契約がとりやめになつた場合の損害のことを考えると、いちいち輸出契約書の作成を俟つて保険をつけていたのでは損害のカバーは到底できないし、又、A・S・P課税実施が間近くなれば、保険をつけたくても保険申込みは受理されないだろうから、これまでのスニーカー輸出の実績を参考にして当面二、三ケ月の見込輸出について、予め輸出保険をつける以外に危険をカバーする方法はないと思う」との話がありました。

要するに既に成立している輸出契約の輸出金額を適宜増額して保険をかけ将来成立見込みの輸出契約の分の危険をも併せてカバーする以外に方法はないと言うことでした。

一二、このように保険をつけていない輸出契約により損害が発生した場合他の輸出契約につけた保険から保険金をとり、損害をカバーすると言うような保険のつけ方が正当でないことは、私にもよく判りましたが、A・S・P課税の実施が表面化すれば輸出契約の破棄による損害と言う保険事故の発生が濃厚になるので輸出保険の申込は受理されないということでしたし、又、A・S・P課税が間近くなれば所謂駈け込的註文による短期取引が多くなり、予めメーカーに対し見込註文をして品物を握つておかなければ商売ができないこと等を考えると、三宅部長の言う方法で保険をつけるよりスニーカーに対するA・S・P関税適用の危険をカバーする方法はないと考えました。

しかし、保険の利用はあくまでもスニーカーのA・S・P課税の実施によつて蒙ることあるべき平岡の損害のカバーにあつて、A・S・P課税によるスニーカーの損害もないのに保険金を騙し取つて一儲けしようなどと言う気持は毛頭持つていなかつたのです。

いわんや、A・S・P課税実施を見込んで、これを利用して架空の輸出契約による架空の損害を口実にして保険金をとろうと考えたのではありません。

一三、私は三宅部長が、社長こうゆう方法で保険でもうけておかなければ危険で思い切つた商売はできないと言うので、A・S・P課税政策から平岡を守るためには致し方ないと考え、それでは、この際、将来の輸出見込のものも含めて約一億五千万円位の輸出金額を目途にスニーカーの輸出契約に保険をつけてくれ、一切まかせるから、滝口とも相談してやつてくれと三宅に話しました。」

と述べており

被告人三宅上申書八頁以下

平岡社長はスニーカーが平岡の輸出業務の中心をなしていただけに、このA・S・P関税問題の動向については非常に憂慮しておりました。

それで、私は雑貨輸出組合や通産省筋から得た情報を平岡社長に話し、A・S・P関税問題につき会社のとるべき方策につき、種々相談致しました。

当時、履物輸出業界では、米国の関係当局に対し、スニーカーのA・S・P関税問題につき、抗議をしておりましたが、米国側の態度は強硬で到底これを阻止することは困難な情勢にありました為、輸出を自主規制することにより米国側に穏便な処置をとつてもらおうという空気が濃厚でした。

しかし平岡としては、A・S・P課税と言うものは、国際貿易のルールからみても不当この上ない制度であり、その適用の緩和を図るため日本側において輸出数量の自主規制をするのは、本来転倒だと言う考えで、この業界の姿勢に対しては、強く反撥しておりました。

平岡にとつて、スニーカーの輸出は、会社の存立の基礎でもありましたので問題は極めて深刻だつたのであります。

平岡社長は、この米国の無法且つ一方的な罔税政策に抵抗し、却つて積極的に輸出を押し進めA・S・P課税実施による抜打的キヤンセルの危険については、輸出保険の活用により、これをカバーして行なうという腹をもつておりました。

社長はまた、A・S・P課税の幻影に脅えて他の業者が輸出を見合せているときこそ、好機で、この機会にできるだけ多くを売り込んで利益を上げるべきだとも言つておりました。

私も社長のこの考えに全面的に賛成できた。

五、丁度その頃でした。滝口営業課長より、神戸の増田君から神戸の取引先メーカーが東洋クロス・スニーカーの時の損害にこりてかレーヨン、スニーカーのA・S・P課税によるキヤンセルを怖れて注文したものは全部引取ることを約束してくれなければ注文には応じられないという意向を洩らしているので平岡としては保険をつけるなりしてこのメーカーの要望に応えることが必要だと思うが、よく検討してみてくれと言う 旨の話があつたことを知らされました。

それで、私は社長とも相談しているが、会社の方で保険をつけるつもりだから、メーカーの方には、頼んだものは全部引取るから心配するなと伝えておくよう滝口君に話しました。そうして、私はこのことを社長に報告しました。

社長はメーカーの立場も判るが、そうかと言つて平岡がキヤンセルによる損害を全部負担しなければならないのでは、危くて輸出はできないから、将来成立するスニーカーの輸出契約をも含めて包括的に保険をつける方法があるかどうか一つ調べてみてくれと言いました。

社長の話では、もしそのような保険のつけ方ができれば、臨機応変に商機をつかんで有利な商売ができるということでした。

六、私は渉外関係事務の担当者として、輸出保険のことも多少は知つておりましたが、社長のいわれるような保険のつけ方が出来るかどうかよく判かりませんでしたので、輸出保険のことを種々調べてみました。

しかし当時の輸出保険の制度上個々の輸出契約をこえて輸出による危険を包括的にカバーする制度はなく輸出契約毎にいちいち保険にかけなければならないようになつておりました。

しかしそれでは、煩鎖でやりきれないし、A・S・P課税の気運が高まると所謂駈け込み的注文による短期取引が多くなり契約内容が細部迄確定し、正式に輸出契約を締結する前にメーカーに生産の手配をしなければならないので、保険申込の手続上問題があり、又短期取引になると注文から船積の間まで余り日時がない場合が多く、バイヤーからの注文をまつてメーカーに発注していたのでは間に合はず、予め見込みでメーカーに発注し現品を獲保しておかないと注文に応じ難いこともある訳ですが、若し正式の輸出契約締結前にメーカーに発注して生産にとりかからせたところ、後になつてA・S・P課税実施のため輸出契約がとりやめになつた場合の損害のことを考えると、いちいち輸出契約の成立を俟つて保険をつけていたのでは損害のカバーに到底できないし又A・S・P課税実施が目前に迫れば保険をつけたくても保険申込みは受理されないだろうから成立した輸出契約の輸出金額(輸出数量)を水増して保険をつける以外には将来の危険を包括的にカバーする方法がないことが判りました。

それで、私は平岡社長に、既に成立している輸出契約の輸出数量を将来の輸出見込数量分だけ水増して保険をつけ、将来成立する輸出契約の分の危険とも併せてカバーするという方法以外に社長の考えにかなう保険のつけ方はないことを話しました。

七、社長は私の説明をきき、そうすると保険をつけていない輸出契約により損害が発生した場合、他の輸出契約につけた保険から保険金をとつて損害を埋めることになる訳だな大丈夫だろうかといいました。勿論、私も社長もこのような保険のつけ方が合法的なものでないことは承知しておりましたが、私はA・S・Pによる不測の損害から会社を守るためには、これ以外には方法はないと思うし、形式はともかくとして、実質的には、現実に発生した損害を保険でカバーする以外のものではないのであるからこの際この方法で危険をカバーし乍ら積極的に商売をやり利益を上げてはどうかと言いました。

社長は巳むき得ないだろう、それでは君に委せるが、ところでどの位保険をかけたら危険をカバーできるだろうかと言うので、私は当時の情勢等から見て、三ケ月間の生産予定数量を一ケ月五千万円の計一億五千万円位と考え、一億五千万円位を一応の目安にして保険をつけておけば大丈夫ではないかと私の考へを述べますと、社長はそれではその位の金額を保険金額にして輸出保険をつけてくれ、滝口君にも輸出の実状などをきいて相談してみてくれといいました。

八、私はまず一月から三月迄船積予定輸出契約を調べ、その輸出契約にどの位宛水増していくかを検討することにし、滝口君にその保管する輸出契約書(SN)を出させ、彼に一応の計画を話した上、それらの輸出契約書に基き、水増した九通の輸出契約書の作成に協力させたのです。

その時期は三五年の暮から一月にかけての頃でした。

と書いており、

原審相被告人増田実上申書六頁以下

三、しかしながら、同年七月未日頃には、アメリカのバイヤーからの註文もなくなり、バイヤーの関心は、東洋クロススニーカーに代るA・S・P課税非該当品として新に考案されたレーヨン・スニーカーに移行しましたので、株式会社平岡でもこのレーヨン・スニーカーに輸出を切り替えたのです。

この、東洋クロス・スニーカーのA・S・P関税問題では、紙布製造業者は勿論、紙布の原反を多量に抱え込んだ神戸のスニーカー・メーカーも大きな損害を受け倒産したものも一、二に止まりませんでした。平岡もメーカーに供給する原反を多少もつていましたので、その処分に困り或る程度の損害を受けました。

四、このように東洋クロス・スニーカーが駄目になり、レーヨン・スニーカーが、これに代つた訳ですが、アメリカの業者は、またまたこれに追打をかけ、レーヨン・スニーカーについても同年一一月頃から税関当局では、A・S・P課税の適用を検討するようになりました。

神戸の履物メーカーは、先に東洋クロス・スニーカーで大きな被害を蒙つていたため、レーヨン・スニーカーで再び被害を受けることを極度に警戒し、平岡の仕入先メーカーも平岡側で、もしレーヨン・スニーカーに対するA・S・P課税の実施によりバイヤーから輸出契約が破棄されるようなことがあつても、註文した製品は全部引取ることを確約してくれなければ、註文には応じ難いという意向を表明するようになりました。

それで同年一二月、私は本社で履物関係の契約交渉等を担当している滝口譲営業課長に神戸のメーカー側の気持を伝え、レーヨン・スニーカーにA・S・P課税がなされ、輸出契約が破棄されるような事態になつても、一度メーカーに発註したものは必ず平岡において責任をもつことが、メーカーからの仕入を円滑にする為に絶対に必要であることを強調し、輸出保険の活用その他の善後策を要望した。

五、メーカーから必要なときに、必要なだけの製品を所定の納期通り納入させることが競争の激しい貿易業界で勝を占めるための必須条件であつたため、日頃から株式会社平岡は、メーカーを傘下に保持することには多大の関心を払つていただけに、この際メーカーの希望を入れてA・S・P課税問題の動向によりメーカー側に損害を与えないようにすることが、メーカー対策として充分考慮されなけれればならなかつたのであります。

特に仕入関係の責任者として始終メーカーとの折衝に当つていた私の立場からすれば、メーカーを掌握できるか否かは、直ちに商売の実績にも影響するだけに重大なる関心事でありました。

六、間もなくして、滝口譲営業課長から「仮令A・S・P課税により輸出契約がバイヤーから破棄されるようなことがあつても保険をつけることにしたから心配ない、メーカーの方には平岡は一度註文した以上どんな事態が起ろうと必ず品物は引き取るからと言つて安心させて呉れ」との連絡がありましたので、メーカーに対しては保険のことには触れず、平岡が責任をもつから心配しないで生産してくれと頼みました。

と記述しております。

これが、被告人らの、本件個別保険申込当時の心持であつたのであります。

このことは平岡被告が昭和四〇年一月一四日付検面調書中で、

三宅がそんな事を計画したのは昨日も申し上げたようにレーヨン・スニーカーに早晩、A・S・Pの適用がありそうな状態であつたので、その機会を利用して保険金をとつて儲けようという気持があつたからでありますが、その他に水増の保険をかけることによつて損害をカバーしようという考えも同時にあつたと思います。というのは個別保険でバイヤーとの間の輸出契約や金額を水増してもその輸出契約にしか効力は及ばないのですから保険をかけないスニーカーの輸出契約は、他にもいくらもあつたわけで、保険をかける段階では、将来A・S・P課税の適用があればその保険をかけない輸出契約がキヤンセルされて損害を生じるという危険もあつたからであります。

私の会社ではバイヤーからL/C(信用状)がこないうちはメーカーから納品があつても支払はしないように極力していましたがメーカーへの注文はL/Cが来てやつておりましたので保険をかけていないスニーカーの輸出契約についてはA・S・P課税適用になつてバイヤーからキヤンセルを受けると損害を受けるおそれがあります。そのような損害を保険を余分にかけることによつてカバーするという意味は、実際は保険のかけてない輸出契約のための注文品を作つていてメーカーが納品があつた場合でもレーヨン・ユニーカーには、どの輸出契約分だといちいち符号がついていないのでありますからそれで恰も保険がかけてある輸出契約品を作つたようにしてしまいそのような書類を作つて保険をつけて貰えば保険をかけてない輸出契約の損害の穴埋めができるという意味であります。

といつており、

また同月一七日付検面調書の中で、

輸出保険を水増してかけた目的について前回、それによつて損害をカバーしようという意図と損害がない場合にもあつたようにして保険金を貰うという意図とがともにあつたと申し上げました。

管理部長の三宅と輸出保険をかける話を最初にした時には前の意図すなわち大きくかけて輸出保険の保険金を貰つて輸出保険のかけてない輸出契約についてA・S・P課税適用により損害がもし出たらその損害をカバーしようという気持が強かつたと思います……中略……保険金を欺しとることになることは間違いありませんが、それによつて他の損害をカバーして会社が損をしないようにしたいという予防的な気持の方が強かつたのであります。

と述べておるのであります。

この供述は意をつくしておらず甚だ不十分を動機目的の説明でありますが、平岡被告のいわんとするところは右各上申書で記述しておると同様のことを述べておるのであります。

平岡被告にしても三宅被告にしても、手段的に、そして、結果的に詐欺といわれても止むを得ない、この個別保険についてこれ以上の陳弁をする心の余裕が捜査段階ではなかつたのであります。

右各上申書における陳述表現は合理性があり真実性があります。

ここに本件欺罪の動機目的があつたことを是非お認め願いたいのであります。

2. その後の経過。A・S・P課税の危険が去らないこと。必要書類の作成提出について昭和三六年四月一二日東洋クロス・スニーカーとレーヨン・スニーカーにA・S・P課税が実施されることになつた、その時点においては株式会社平岡にはレーヨン・スニーカーについて損害はなかつた。しかし、当時盛んに輸出されていたスチレンリール・スニーカーに何時A・S・P課税がやられるかも知れない、その時に備えてここで保険金手続をしておこうという気になつたことも、以上の経過から肯けると思うのであります。

事実、昭和三七年三月このスチレンソール・スニーカーにA・S・P課税が適用されたことは、先に述べたとおりであります。

原審において「ゴム底布靴同類似品輸出船積状況集計表」を作成提出してあります。これには昭和三六年六月までの分しかなくその後のスニーカーの輸出状況に触れておりませんが、当審において「その後の集計」を提出してこれを明かにし、依然としてスチレンソール・スニーカーの輸出があり従つてこれへの危険が去つておらなかつたことを立証したいと存じます。

本件において通産当局に提出した書類がいずれも虚偽のものであり数的にも多かつたことは事実であります。しかし、輸出保険手続にあまり習熟していなかつた三宅被告は当局が「これを出せ、こうした書類が要る」というのでそのひな型を示されこれに基いて作成提出したものであることは原審の加藤証言によつても窺い得るのであります。

それに、これは甚だ申し上げたくい事でありますが、当時の貿易業界では虚偽の文書が横行しておつたといい得るのであります。このことは表立つて立証することは困難な事柄です。しかし、本件の法人税法違反にみられるように海上運賃のリベートの如きは、実際とは違う表面上運賃同盟正規の書類を作つて、裏面でリベートを受けておることは造船疑嶽以来公知の事実ともいい得るのであります。その他相弁護人が開陳するようないろいろの内容虚偽の文書が作成される場合があるようであります。それと外国為替管理法とか貿易に関する各法令が厳格なしかも煩鎖な手続的書類を要求し、それが形式を備える丈のもの-多少内容と違つていても形式上適式であればそれで各種政府機関をパスするので、業者はこれら実際と一致しない文書の作成に罪悪感を持つていないという悪習慣があつたのであります。三宅被告の場合、この風習が、彼の虚偽文書作成に抵抗を感じなかつた面があるのであります。

こうした内外の事情が被告人ら心裡にあつたことをご斟酌願いたいのであります。

本件詐欺が被告人らが株式会社平岡に名を籍りて個人的の不正利得を得ようとしてやつたものでないことは、以上縷々説明したことによつて判明したと存じますが、この保険金がそのまま、株式会社平岡の正規の収入として組入れられておることは、原審までの証拠によつて明らかでありまして、これがそのことを最も雄弁に物語つておるのであります。この保険金に関し、三宅被告は平岡不知の間に米満から三〇万円を贈られております。しかしそれは三宅被告が要求したのではなく米満側からの申し出でを受けたのに過ぎず、しかも、後日三宅被告はこれを米満に返しております。

3. 通産当局の本件保険金請求に対する審査査定について

詐欺された相手方に慎重を欠く点があつたと指摘することは被告人及び弁護人として心苦しいことです。しかし客観的にみて、本件において損害の発生、損害の査定についての当局の調査は、当時は審査基準すらもなく、先例によつてやつていたいうので、あまりにもお粗末であつて、殆んどが被告人側提出の書面を形式的に審査した丈で、損害の査定についても輸出組合に依頼し、組合も亦、実地に検分することすらしないで机上の査定丈で回答し、当局はこれを、鵜呑みにしたというのであります。(原審第四回公判加藤準証言)被告人らはあまりにも簡単に保険金が下りたと驚いたといつおります。この事は罪質の周辺として量刑上、考慮しなければならない点ではないかと考えられるのであります。

三、犯罪後の情況

被告両名は昭和四〇年一月上旬検挙されました。その当初から、すべて卒直に非を認め自白しております。原審公判廷においても、ひたすら、陳謝しております。被告両名は弁護人に対し、昭和三八年脱税の国税局の査察があつた当時、すでに自首すべく、何回か思つたものの、つい、いいそびれて自首することができなかつたと申しております。

詐取した全額を返納しておることは原審で明らかにしたとおりであります。被害の弁償-これは相手が個人であつても国家であつても、財産犯である以上最も有利に参酌さるべき事情であります。

被告人らはこれらによつてもわかりますように改悛の情顕著であります。再犯のおそれはその心情において全くありません。

再犯のおそれといいますと、被告両名は、損害のカバーというものの詐欺事犯を犯した根元が株式会社平岡の営業対度にあつたことを反省したのであります。それは平岡の業態がバイヤー依存の投機的受け身のものであつたことの反省であります。かようなクレームとかキヤンセルにおびえなければならない様な業態でなく、自主性のある貿易取引態勢への体質改善を着々と計り今やその体質改善が殆んど実を結びつつあるのであります。

その一つは在外「平岡」の自主性の確立特に平岡ニユーヨークの拡充強化であります。従来の平岡ニユーヨークは、本社平岡の出先に過ぎず、バイヤーとの折衝が主たる仕事ではあつたのでありますが、今後これを強化し自主性あり自信のある商品を先づ以て本社平岡より送付しておいて、米国の一流ストアーまたはメーカーに販路を求めるべく努力しつつあるのであります。

その二は、有力メーカーとメイクアツプして世界的な高級な製品を開発し我そ国におけるJ・I・Sマークより高度の米国のULの認定を受けて、これを輸出すべく準備をしております。すでに、ラヂオ、ステレオ・レコードプレーヤー・ミキサー・ヘヤードライヤー・ヘヤーカラー等の考案開発ができ目下米国のULを受くべくその手続をとつておるのであります。

かくすることによつて損害をカバーするという、消極的な途をとらず-従つて本件のような好ましからざる方法をとることを要しない商法をとろうとしつつあるのであります。この客観的状況からしても、本件の如き不正事犯の再犯のおそれは全くないのであります。

このことは、当審において被告人等のお取調べを願つて是非明らかにいたし度いと存ずるのであります。

四、被告人らの身辺事情

1. 平岡被告について

平岡被告は戦前香港、中国において盛大に貿易業を営んでいた平岡貞の子として香港に生れ、昭和二五年三月東京大学農学部を卒業後、昭和二七年父の業を継ぐべく平岡公司の商号で単独で貿易業を始め着々と業績をあげ昭和三二年には株式会社平岡と改組し、これを主宰し他を顧ることなくこの道一途に努力して来たものであること、その性格は淡白卒直であること、善良な家庭人であること、平岡一家は敬虔なキリスト教信者であり被告人も加藤牧師の指導によつて洗礼を受けんとしておること等は原審における被告人の実兄にして前千葉医大助教授、現東京厚生年金病院泌尿器科部長である平岡真の証言及び日本キリスト教団東京池袋教会の牧師加藤亮一の証言によつて認め得るところであります。また被告人は贖罪の意味において相当額の寄付献金をしておることは原審において弁護人から提出した証拠によつて明認し得るのであります。

2. 三宅被告について

三宅被告は旧制第五中学校卒業後貿易商社に勤めていたが、これが倒産したので昭和二七年一二月平岡公司に入社したのであるが、その才幹は儕輩を抜き平岡被告の片腕として主きをなし、株式会社平岡となつては取締役となり、管理部長営業部長等をして管理渉外の部門を担当し、ひたすら同社の発展に努力して来たのであります。その性格は明朗にして社交性があり、積極性があり、一男一女の父としてよき家庭人であると同時に被告人の長兄は昭和二十九年若くして死去した為その未亡人や遺子三名の面倒をみ、老年の父母もまた被告人が養うところであります。そして今や、かかる誤りを再びしないことを心に誓つておるとともに前記のような再び過誤を犯さない為にも株式会社平岡の体質改善のため日夜努力しておるのであります。

五、株式会社平岡の輸出実績と量刑との関連わが国国の経済は輸出をのばし外貨を獲得しなければ成立たないことは申すまでもありません。ここで株式会社平岡がわが輸出における比重を考えてみたいと存じます。

原審において提出した「昭和四三年六月六日付株式会社平岡社長大村康太郎名義の陳述書」「昭和四一年九月一五日付同総務部長伊東吾一郎名義の昭和三四年一〇月以降主要商品別売上実績」によると、その取扱商品は電気機器と履物を含む雑貨でありますが、総額は、三五年度-約三七億円。三六年度-約四〇億円。三七年度-約七五億円。三八年度-六六億円。三九年度-七〇億円。四〇年度-約四二億円。四一年年度-約四四億円、四二年度-約四五億円であります。

そしてこれがわが国の輸出総額に対する割合をみると、電気機器において、低くて〇・五%、最高の三七年には、二・八%、年平均一・三余%となるのでありまして、履物を含む雑貨においては、低くて〇・八%、最高一・七%、年平均一・二%となるわけです。

これは大変な数字でありまして、就中対米輸出においては大手商社に次ぐものであります。

後に提出すべき日本軽工業製品輸出組合の昭和四四年一月七日付証明書によれば昭和四三年度において同組合(雑貨)加入の全国輸出商社八四〇社中上位一四社に入つていることが判るのでありまして、この中には勿論大手数社も入つております。いかに株式会社平岡の比重が大きいかがわかるのであります。

その外株式会社平岡は全額出資の海外組織を持つております。本社から社員を出仕させ現地人を雇つて営業させております。

平岡ニユーヨーク-約七億六千万円

香港平岡有限公司-約一三億円

平岡股分有限公司(台湾)-約二億七千万円

を四二年度において売上げておるのであります。これは現地法人でありますので、これが直接全額がわが国輸出にならないのでありますが、株式会社平岡以外の日本からの輸入として転売等で、相当割合をわが国の輸出に貢献しておるのであります。

従業員も昭和三二年当時二〇名であつたものが昭和三八年には一七二名、昭和四二年には一四六名、現地人社員を加えると約一六七名の多きに達しておるのであります。昭和四〇年一月上旬平岡被告三宅被告ら会社主脳部が脱税、詐欺等で検挙されました。そして大々的に新聞等でたたかれました。社員の動揺はさることながら銀行や取引先は不安を感じ特に銀行は貸付金の回収の惧ありとしてか貸出をしぶり、会社所有の不動産を始め平岡被告個人の全不動産を担保として提供すべく要求して貸付を制限したのであります。平間被告は保釈になるや直に香港に飛び香港平岡の後援者霍氏に窮状を訴したところ平岡被告を信頼しておつた同氏は再起を元気づけるとともに相当額の援助をしてくれたので、どうやら倒産を避けられたのであります。

平岡被告は社会的責任を感じ社長の職を辞し義兄大村康太郎を迎えて社長とし自分は相談役となつて一線を退いたのでありますが、銀行や取引先は平岡被告の力量、商才を買つて復帰を求めますので会長として名を列ねることになりましたものの、世間の風当りは強く、幾度か株式会社平岡の閉鎖も考えたのですが貿易国策に協力することこそ自分の使命と深く期するところがあり、同時に、多数の従業員を路頭に迷わすことに忍びず渾身の勇を振つて努力して来たのであります。

先程の数字によつて明らかのように昭和三九年の七〇億円の実績が四〇年度には四二億円に減額しておることによつてもその間の事情がわかるのであります。

原判決は「社会的影響も甚だ大きい」として刑責加重の一因としておりますが、それとはうらはらに被告人ら及び株式会社平岡は十二分に社会的制裁を受けておるのであります。

現在においては、過去の七〇億円の実績に一歩一歩近づいております。平岡、三宅両被告は一身同体となつて日夜努力を続けておるのであります。

そして先に記述したようにバイヤー依存の過去の投機的商法から自主性のある業態に移行し、本件に顕れた各種スニーカー輸出のような危い橋を渡らなくてもすむ体質において不正の為し得ない態勢の確立を急いでおるのであります。

この前非を悔い出来る丈の償をし再び過ちなきを誓つておる被告人らに懲役二年の実刑を科し社会から隔離し、株式会社平岡を倒産させ、多くの従業員を路頭に迷はせるより、与うるに執行猶予を以てし、国策たる輸出に貢献しようとする被告人らの使命感を遂行させることこそ、この際国家にとつてより良策であると本弁護人は信じます。被告人らを牢嶽に繋ぐより国策的業務に精進させることが刑事政策としても最も妥当なものと弁護人は確信するものであります。

六、時の経過、特別予防、一般予防

本件犯行は昭和三六年一二月であります。それから七年余になる訳であります。原判決が「もとより被告人らが犯行発覚後四年有余の間悔悟と自責に苦しんだであろうことは察することができるし、再犯の虞が極めて少ないことも認められ」(二九頁)というように、いな 七年余被告人らは苦しみ且つ社会的制裁も受けているのであります。

けだし、刑の量定は一般予防と特別予防との調和にその基盤をおくべきものと考えられます。特別予防の目的を達したとして一般予防を軽視することはよくないと同時に一般予防の故に特別予防を評価しないで重刑を以て臨むことは、被告人の人権を不当に侵害するともいい得る場合があり、これ亦、避けなければならないことと信じます。この被告人らに対し執行猶予の恩典を与えられても、社会もこれを認容するものと思います。これ刑法改正準備草案第四七条第三項において「刑の種類及び分量は、法秩序の維持に必要な限度を越えてはならない」とある所以であると考えます。

七、詐欺罪以外の犯罪事実について

以上は詐欺の訴因について弁護人の意見を開陳したのであります。平岡被告の法人税法違反、三宅被告の贈賄について言及したいと思います。

1. 平岡被告の法人税法違反罪について

原判決は「本件脱税額は多額であるが、逋脱所得の内容は、不正輸出等の不正行為による所得や船会社らのリベート等のごとく、所得発生の原因行為自体に公表経理を憚る事情があつたものと青色申告承認取消による所得増加分がその大半を占めており、専う逋脱を企図した通常の逋脱犯とは犯情を異にするものがある」(三〇頁)といつております。弁護人もそのとおりと思います。

平岡被告は捜査の段階から脱税そのものは認めておるのであります。原判決認定の所得の一部に不満はありますが、これ以上区々たる争を以てお手数をかけることは申し訳ないと思い当審においては、原判決の事実認定は争はないと申しております。

株式会社平岡においても控訴を取下げ、原判決を確定させ、近日中罰金一、〇〇〇万円を納入することにしております。

被告会社においては原審で提出した前記大村康太郎の陳述書にあるように、本件の昭和三七年二月期のみならず、昭和三五年二月期以降の本税、利子税、加算税等更に法人税額の更生に伴い課せられた法人事業税、都道県市民税についても本税、利子税、加算税も昭和四一年七月までに、本件の摘発によつて資金繰りに困つていたのにも拘らず完納いたしました。税法違反の犯罪は国家財政権の侵害にあることは言る俣たないところであつて、この財政権の侵害が補填され更に重加算税の如き行政罰が課せられ、その上法人において多額の罰金刑が課せられた以上、行為者に懲役刑を選択科刑することは、その行為者が余程の悪質な手段を以てした場合を除いては、酷に失すると思うのであります。本件における脱税は原審判決も指摘するように、社長であつた平岡被告にも悪らつな所為は少しも認められないのであります。

原判決は平岡被告に対し懲役刑を選択し、詐欺罪の刑に加重としておりますが、重さに失するものと考えます。

税法違反事実については平岡被告に対し罰金刑を選択し担当額の処刑があつて然るべき案件であると確信いたします。

2. 三宅被告の贈賄罪について

原判決は第五の犯罪事実として

三宅被告は原審相被告人中村秋典から昭和三八年一〇月頃、その職務上保管中の輸出インボイスを交付を受けた。

職務上不正行為をしたことに対する謝礼として

〈一〉同年一二月初金一万円を供与し、

〈二〉昭和三九年二月一九日頃金一万円供与し、

〈三〉同年三月頃金二万の立替支払をしたとして贈賄に問擬しております。

これは明かに事実誤認であります。

その詳細は相弁護人の控訴の趣意を援用するが、本弁護人の意見の骨子は左のとおりであります。

三宅被告が右中村から昭和三八年一〇月頃、その職務上保管に係る輸出インボイスの交付を受けたことはその通りであります。

しかし、三宅被告が供与した二万円の現金、二万円の利益はその対価とはとうてい考えられないのであります。

第一に、三宅被告にしても右中村にしても主観的に用済みであり廃棄寸前の輸出インボイスが検察官主張のよう高度の秘密性があるものとは思つていたとは認められないこと。

第二に、その対価とするならば、要求にせよ供与にせよ、その直後になさるべきである。然るに、一〇月の交付に対し、一二月であり、翌年二月であり、三月であり、且つ、対価とするにはあまりにも少額であること。

第三に、これら利益を与えた機会であります。〈1〉の一万円は中村ら同僚の忘年会の折であり、〈2〉の一万円は吉永一郎事務官の観迎会の折であり、〈3〉の二万円は渡辺薫事務官の退職送別会の二次会のツケを中村に代つて支払つたというのでありまして、いずれも宴会の際、その会費的又は集会員多数へ贈つたという色彩が強く中村個人に贈つたとは解せられないということ。

第四に、最もおかしいのは〈3〉のバー「セリナ」の支払であります。中村から「セリナ」の支払をたのむといわれた、ツケを見たら四万円という、そんなに多額では困るといつてスツタモンダの末内二万円を代払したというのであります。検察官立張のような高価(高度の秘密性)のあるインボイスの対価、これを値切る……こんなことがあり得るだろうかということ。

第五には、これに先立つて三宅被告は右中村に右吉永事務官上京慰労会の費用約四万円を交付しておること、又同年五月中村に対し一〇万円の借用方を申込まれ一万円を手交しておること、これを本件〈1〉〈2〉〈3〉の利益供与と全く関係ないとすることが思考の誤りではないかということ本弁護人は原審の証拠をあげて事実誤認を主張することは相弁護人の控訴趣意に譲りますが、記録を一見した丈で常識的にこれら疑問点を合理的に解明できない限り本件四万円をインボイス不正手文の謝礼と認定することは背理であると考えます。中村及び三宅被告の本件の金員、利益の供与は、原審における弁護人の主張の如く犯罪を構成しないものといわなければならないのであります。

この点において冒頭第一点において主張したように三宅被告に対する原判決は破棄を免れないもの思料いたします。

本件贈賄が仮に有罪であるとしても、右第一乃至第五にあげた点は、いずれも三宅被告にとつて有利な事情であります。本件の贈賄性の濃度がいかにも低いことを示すものであります。すべて中村の要求によつて出損されたものであります。原審において三宅被告がいうように昭和三一年一月迄右中村が輸出課にいた時代職務上何とはなくお世話になつた、中村と職務上の関係がなくなつてからも情にあつく、社交性のある三宅被告は中村と個人的な交際をしてあつた。中村も世話好きで同僚との宴会などの世話役を常にやつておつた。三宅招かれればこれに顔を出していた不足がでれば「三宅君たのむよ」ということが時々あつた。本件もそれと同様のもの(仮に有罪にしても)であつたのであります。この案件に定刑中懲役刑を選択することは重きに過ぎると思料いたします。罰金刑が相当であると思います。懲役刑を選択し詐欺罪と併合罪の加重をした原判決は失当であると信じます。この訴因については罰金刑を選択し詐欺罪の懲役刑に罰金刑を併科するのが至当であると本弁護人は信ずるものであります。

八、結語

本弁護人の結論は、三宅被告に対する贈賄罪については事実誤認があつて破棄さるべきものと思料いたします。

仮に右が有罪でありましても、両被告人に対する量刑は著しく不当でありますので原判決は破棄さるべきものと信じます。

そして、両被告人の詐欺罪についてはより軽き刑、そして執行猶予の恩典を与えられたことを希うものであります。

そして平岡被告の法人税法違反罪について、そして三宅被告の贈賄罪についてそれぞれ相当額の罰金刑の併科あるべきものと願うものであります。

控訴趣意書

詐欺・法人税法違反 平岡信生

詐欺・贈賄 三宅栄二

右被告人等に対する頭書被告事件につき昭和四三年十月十二日控訴の申立をなしたが、その趣意は次の通りである。

昭和四四年一月二七日

右弁護人

弁護士 清野惇

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

第一点 原判決は事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであるので破棄を免れないと思料する。

原判決は、その罪となるべき事実の第五において、被告人三宅に対し起訴状記載の通り贈賄の事実を認定しているのであるか、原判決の認定は以下述べる如く事実を誤認したもので到底破棄を免れない。

即即ち、本件において賄賂とされている金員等は、中村の被告人三宅に対する輸出インボイスの貸興と対価的関係にはなく、従つて右輸出インボイスの交付と云う中村の職務上の不世行為に対する謝礼の趣旨は認め難いから贈賄罪は成立しないと確信する。以下その理由を分説する。

一、被告人三宅と中村とは十年来の友人の関係にあつたこと。

被告人三宅と中村とは、昭和二七年株式会社平岡の前身である平岡公司が設立されたときからの付き合いで、当時、中村は通商局輸出課輸出承認班に勤務しており、一方三宅は輸出承認申請のため、しばしば同課に出入りしているうち、中村を含む同課特に輸出承認班の人達と顔見知りとなつたが、中村はその中でも特に親しみ易い人柄であつたため、貿易に関する官庁手続に とかつた三宅は、なにかと同人に相談し、その指導助言を仰ぐようになり二人の間は急速に親密の度を加えたのであつた。

その後中村が他の課に移つてからも三宅と中村との交際は続けられ、役人と業者と云う仕事の上の関係を越えて互に人間的な交りをしていたのである。

そのような心易い間柄であつたため、昭和三二年頃偶々株式会社平岡が輸出商品の品質問題に絡んで民事の訴訟を起したときも、三宅は当時輸出検査課に籍を置いていた中村に依頼し、輸出検査の実情等につき法廷で証言して貰つたこともあつたし、又中村の方でも昭和三八年五月頃飲み代の返済に困つて三宅に退職金をかたに十万円の借金を申し入れ、同人から一万円の融通を受けたことさえもあり両人の間柄は単なる知己以上の友人関係にあつたのである。

二、贈賄とされている三宅の本件金員の交付及び財産上の利益の供与の実態は、いづれも中村を含めて中村と同様以前から交際のあつた旧輪出課員に対する社交上の慣習又は儀礼に属し、中村個人に対する利益供与と云う性格は極めて稀薄であること。

(1) 即ち、昭和三八年一二月初め頃、輸出統計班事務室において中村に交付した現金一万円((イ)と略称)は、中村から頼まれ、同人が係長をしている輸出インポイス統計係の忘年会の資金として融通したもので、三宅自身胃さえ悪くなければ、自らもその宴会に出席し、会費名儀で寄附した筈のものであり、実際にも係の忘年会の費用に使われているし、又同三九年二月一九日頃飲食店「平家」において中村に手渡した現金一万円((ロ)と略称)は、かつて中村と共に輸出承認班に勤務し、その後沖繩に出向していた吉永一郎事務官の帰任歓迎会へ出席した際、幹事役の中村に会費として渡したものであり、吉永事務官とは同人が沖繩に出向ける際見送りに行つたり、又昭和三八年三月頃同人が沖繩から出張で上京して来た際にも、その労をねぎらうため、三宅の方で同人の他中村及び石井輸出統計班長をも招き、慰労の宴席を設けたこともある仲であつた。更に同三九年十月一日頃中村の依頼に基き女給吉村しづ江に支払つた金二万円((ハ)と略称)はかつて中村と共に輸出承認班にいて交際のあつた渡辺薫事務官が、昭和三九年三月末をもつて通産省を退職し、民間会社に勤めることになり、その送別会の二次会として、石井班長、中村等が渡辺をバー「セリナ」で接待した際の飲食遊興費の一部を中村の依頼により代つて支払つたもので、時間の都合さえつけば三宅において送別の宴席を設けなければならないところを、それができなかつたため、その代りとして右支払を承諾したのであつて、いづれにしても中村一人に対する利益の供与と云う性質のものではなく、又その金額も社交上の儀礼乃至慣習の限度を越えたものではないのである(第七回公判における被告人三宅の供述及び中村の供述等)。

(2) このように中村に対する賄賂の供与とされているものの実態はいづれも中村個人と云うよりは、むしろ中村を含めて三宅と親交のあつた元輸出承認班員に対してなした社交上のものと目すべきであり、ただ中村がその世話好きな性格から、いつも幹事役を引き受けていたため、中村から話を受け、又中村との間で金員の授受等が行われた関係から、恰も中村に対する金員及び利益の供与の如き外観を呈するものであるが、その実情は右の通りであり、三宅において特に中村一人に利益を帰せしめる意思はなかつたのである。

従つて、中村は単に取次役的な存在にすぎず利益供与の真の相手方は(イ)の場合は輸出インボイス統計係員、(ロ)の場合には歓迎会に出席した元輸出承認班員、(ハ)の場合には「セリナ」で飲食遊興した中村、石井、渡辺の三人と解せざるを得ないのである。

三、本件輸出インボイスの授受と金員及び財産上の利益の供与との間には因果の関係は認められないこと。

(1) 前述の如く、三宅と中村とは、本件輸出インボイスの授受以前から打ち融けた交際を続けており、又三宅は先に述べたように吉永事務官の出張上京に際し、その慰労会と云うことで中村をも招待した上更にその二次会迄も引き受け吉永共々歓待し、少くとも四万円近い出費さしているし、昭和三八年の五月には中村から退職金を担保に十万円の借用方を れられ、やむなく三宅において一万円を融通している間柄であつて、かりに本件輸出インボイスの授受がなくとも、右の如き両人の間柄からすれば本件の如き利益供与が行われたであろうことは容易に推測できるのである。

ところで、若し両者の間に輸出インボイスの授受と云う事実がなかつたならば検察官は本件現金の交付や利益の供与を賄賂の供与として訴追したであらうか。弁護人は疑問なしとしないのである。

なぜならば、検察官が本件輸出インボイス授受以前の前記金員の供与や饗応接待等を、敢えて起訴しなかつたことからすれば、検察官は、これらの利益供与を中村等の職務に関する不法な報酬とはみず、職務関係を離れた三宅と中村等との間の個人的交際関係に伴う出損と考えていた証 とも受け取れるのであつて、若しそうであれば、本件の現金及び利益の供与もおそらく訴追の対象とはならなかつたものと推断できるのである。

ところが、原判決は偶々両人の間に輸出インボイスの授受と云う不正行為があつたため、この不正行為と本件の利益供与とを因果的に結びつけることにより強いてその賄賂性を認め、本件贈賄の成立を骨定しているのである。

(2) ところで、本件輸出インボイスが、中村自身を含めてこれる取扱う輸出インボイス統計班員の意識において、特別に重要な公用文書へ実際にも部外秘扱とはされていなかつた)であるとは認めていなかつたことは、その取扱の実情等からも疑う余地のないところである。

即ち、輸出インボイス統計の事務が昭和三五年七月十四日から行われていながら(四十通局第一三三号昭和四〇年二月二〇日付通商産業局長発検事八巻正雄宛「捜査関係事項照会書」に対する回答について」昭和三六年八月迄その取扱要領すら定められておらず、同月三六通局第二三四二号によつて制定された通商局長名の輸出インボイス取扱要領(昭和四〇年一月二二日付石井光彌の検察官に対する供述調書添付)も受付、保存期間、廃棄を定めただけの極めて簡略なもので、その取扱に慎重を期待する趣旨のものは特に見当らないし、実際においても輸出統計事務を総括している班長の石井光彌はこの輸出インボイスを長期間に亘つて民間会社である松下電器の社員に事務室内で閲覧させていた事実もあり(中村の公判廷における供述)、又その保管も極めて無造作で一時的とは云へ廊下に積み重ねて置くことすらあり(三宅の公判廷における供述)、更に廃棄処分にあたつても員数の確認もせずに出入りの屑屋に払い下げている等その取扱の実情からしても、中村等のこの輸出インボイスの価値に対する感覚を窺うことができるのである。

三宅自身においても中村を事務室に訪ねた際に、輸出インボイスのこの粗雑な取扱いを目撃しており、就中統計に使用済の本件輸出インボイスについては、それが重要な公用文書であるとの認識は全くと云つてよい程持つていなかつたのである(三宅の公判廷における供述)。

(3) のみならず、平岡社長より調査を依頼された事項を調べるためには、必ずしも中村の取扱つていた輸出インボイスを入手する以外に方法がなかつた訳ではなく、バイヤーや輸出貨物の動向を報道している業界紙の編集関係者や所謂乙仲(関税貨物取扱人)等を通じ、或いは税関作成の輸出計表(関税法第一〇二条)等により所要事項を調査することも全く不可能ではなかつたのであるが(第四回公判における鳥谷部悌之助の供述)、当時偶々中村が輸出インボイスの統計係長として輸出インボイスを取扱つていた関係から、手取り早い方法として、つい日頃の気易すらから恰も友人から物を借りるような気持で、中村に電話でその貸与方を依頼したと云うのが、本件輸出インボイス授受の真相なのである(三宅の前掲供述)。

(4) 三宅は、前述の如く本件輸出インボイスが公用文書であつても、それ程大事な文書とは考えていなかつたし、必要としたラジオのパーツの輸出インボイスは生憎中村の手許になく貸して貰えながつたこともあり、中村が本件輸出インボイスを洩してくれたことについて、特に恩義を感じていなかつたことは輸出インボイス授受に際し、何等謝礼の約束もしておらず、事実またその際に謝礼と云うものは全くしていないことからも明らかである。若し、かりに本件輸出インボイスが三宅にとつて非常に価値のある文書であるならば中村の要求をまたずして、三宅において少くとも相当高額の謝礼をしたであろうし、中村自身も、自分の貸し渡す本件輸出インボイスに価値を認めていたならば、三宅に十万円の借金を申し込む位の彼であるから、相応の謝礼を要求したであらうことは想像に難くないのである。

しかるに事実は、中村も輸出インボイスの対価を要求しておらず、その後三宅から中村に供与された現金等にしても合計して僅かに四万円程度の利益に過ぎず、而もその全部が、中村の個人的利益に帰するものではなく、実際の受益は前述の通り極めて少額であつてそれ以前三宅から受けた利益の額に比べて特段の差異は認められないし、前記「セリナ」の所謂「つけ廻し」にしても中村の給料からは残額の支払いが極めて困難であることを知りながらも三宅は四万五千円程の請求額に対し、そのうち二万円しか支払つていないのであつて、中村自身もそれ以上の支払方を三宅に依頼しながつたことは両人とも輸出インボイスの授受に差程の価値を認めていなかつた証拠であると共に両人の間柄が前述の如く単なる役人と業者と言う関係を超えた個人的な交友関係にあつたことを示す以外のなにものでもないと考えるのである。

(5) のみならず本件輸出インボイスの最初の反対給付とされている昭和三八年一二月の金一万円の供与てすらも本件輸出インボイスの授受時より既に二ケ月余りを経ており、昭和三九年一〇月の金二万円の代払いに到つては、実に一年も経過しているのであつて、その時期だけからみても、両者の間に到底因果の関係を認めることはできないのである。

(6) このように原判決が贈賄と認定している現金及び財産上の利益の供与は金額時期、供与時の状況等いずれの面からしても、中村の本件輸出インボイスの交付と因果の関係は認められないのであるから、その対価的利益と考えることは余りにも、常識を逸脱するものであり到底首肯できないのである。

即ち、三宅の本件利益供与は、同人が中村から輸出インボイスの交付を受けたこととは無関係で、それ以前において中村等に対してなした社交上の儀礼又は友人間の交際としての前記饗応等と全く性格を同じくするものであり、中村の輸出インボイスの交付という不正行為の対価的性質は有しないのであるから賄賂とは認められず、従つて三宅の所為は贈賄罪に該当しないと云うべきである。

しかるに、本件利益供与を賄賂の供与と断じ贈賄罪の成立を肯認した原判決は、事実の誤認を犯したものとして当然破棄されるべきものと思料するのである。

第二点 原判決は刑の量定重きに失し破棄を免れないと思料する。

即ち原判決は、被告人平岡に対しては、詐欺、法人税法違反の公訴事実を、被告人三宅に対しては、詐欺贈賄の公訴事実を夫々認め、被告人両名に対し各懲役二年の実刑を言渡しているが、以下の情状を考慮するならば本件は刑の執行猶予が相当の事案であつて原判決の刑の量定は酷に失するものと云わざるを得ない。

一、被告人三宅の本件贈賄について

仮りに第一点の事実誤認の主張が認められないとしても、本件贈賄には、先に詳説した事情があり、しかも本件現金及び財産上の利益はいづれも三宅の方より積極的に供与したものではなく、いづれも中村の要請に応じて供与したものであり又、その金額も比較的少額であつて、その犯情は必ずしも悪質とは云い難く、酌量の余地は充分にあると確信する次第である。

二、被告人平岡、同三宅の本件詐欺について本件は、株式会社平岡の主力輸出商品であるゴム底布靴(通称スニーカー)に対するASP課税と云う米国の不当な関税政策によつて蒙るかもしれない不測の損害を補填するため、現行輸出保険制度の下においては、成立した輸出契約毎に保険契約を締結すべきところを将来成立する見込のレーヨン・スニーカーの輸出取引を既に成約したレーヨン・スニーカーの輸出契約の如く作為して保険契約を締結した上レーヨン・スニーカーに対するASP課税実施による保険事故の発生を装つて輸出保険金を受領し、将来の新種のスニーカーに対するASP課税実施による損害の発生に備えたもので、現行輸出保険手続においては許されない方法であつたが、その意図するところは、仕向国の関税引上げと云う非常危険による将来の損害の填補にあり、ASP課税に乗じて輸出保険金の騙取を企てたものではなく、その動機態様において充分酌量の余地があると信ずるものである。

以下項を分つて詳述する。

(一) 本件の背景について

(1) 米国におけるASP課税制度の推移

イ 米国には、戦前から、外国からの輸入を制限し、国内産業を保護するために悪名高いASP課税と云う関税制度がある。

この制間は一九三〇年に制定公布された「歳入を確保し海外通商を調整し米国産業を振興し、米国労働者を保護し、その目的をする法律」の第二章三節三三六条に依拠するもので、その主眼とするところは、米国産品と外国産品の生産原価を対比し所定の関税率を賦課することによつて両者が均等化しない場合には、所定関税率の五〇%以内において関税を引き上げることが関税委員会においてできることとし、それによつても生産原価の格差が均等化できないときは、関税委員会は米国産品の卸売価格を外国産品の価格として所定の関税率を適用すること(これがアメリカン・セイリング・プライ課税略してASP課税といわれる)を大統領に勧告し、大統領の権限においてその適用を布告することができるとするもので、本来ならばFOB課税即ち輸出港における本船渡し価格を基準にして関税を課すべきところを米国国内の卸売価格を基準にして関税を賦課しようとするものである。

換言すれば輸入外国産品の生産原価より同一類似の米国産品の生産原価が高い場合には、FOB関税の原則によらず、高い米国の国内卸売価格を基準にして関税を課すると言う所謂高関税による輸入制限政策であつて、対米輸出国からは世界に類例をみない不合理きわまる制度と評されており、異例な高関税になること、卸売価格の評価基準があいまいなため、課税額が不安定で取引の安全を害する等幾多の欠陥を蔵している関税制度である。

ちなみに、FOB価格が一足五〇セントのゴム底布靴の場合の関税額は関税率が二〇%であるから一〇セントであるのに対し、ASP課税方式によると同一類似の米国産ゴム底布靴の卸売価格は二ドル六五セントであるから関税額は五三セントになり約五倍強の高関税となるのである。

ロ 本課税制度は、右のような欠陥を有し、しかも米国の主唱にかかる「関税貿易に関する一般協定」-一九四八年一月-所謂カツト第七条第二項の「……輸入国の関税評価対象には国内価格をもつてしてはならない……」と云う規定の精神に悖り、又ガツト加盟国会議の際の「ガツトの精神に反する各国の旧国内法は、その存続は認めるが、なるべく使用せぬこと」と云う申し合せにも反するものとして、対米輸出国では機会ある毎にその廃止を米国政府に申し入れており、その適用については常に国際世論の非難を受けているのである(第九回公判における証人高島定の供述等)。

ハ ところでゴム底布靴については、一九三二年二月一日付フーバー大統領の布告により総ゴム靴と共にASP課税となり、その後一九六五年一二月七日総ゴム靴については新関税率法によつてASP課税が廃止され今日に至つている(高島定作成の「米国向ゴム底布靴の輸出とASP課税適用の推移」)。

尚、ASP課税の対象とされている商品は、ゴム履物の他はまぐろの缶詰等一、二品に止まるのである。

(2) ゴム底布靴(スニーカー)に対するASP課税の推移。

イ 前記フーバー大統領布告におけるゴム底布靴の定義は、靴の「胛の総体またはチーフバリユー(主要価値)が羊毛、綿、ラミー動物の毛、繊維、レーヨン或いは他の合成繊維、絹又はその代用品」で靴の「底の全体又はチーフ・バリユーが天然ゴム又は代用品」であるものとなつていて、この定義に該当する履物のうち-国内産品とそれと同一の外国産品との間に生産原価の格差が存在することが、ASP課税適用の条件となるのである。

ところでゴム底布靴に対するASP課税は、ASPの三五%であつたため昭和三一年頃迄は胛を綿、底を天然ゴムとする通常の運動靴(キヤンパス・シユーズ)は、輸出僅少であつたが、一九五五年九月一〇日我が国がカツトに正式加入したことにより、課税額がASP二〇%に引き下げられたことと日本ゴム履物業者の輸出努力によつて一九五七年(昭和三二年)よりゴム底布靴の対米輸出は漸次増加したのである。

ロ 当時の輸出ゴム底布靴の主力は、ASP課税とFOB課税の格差が大であつたため、ASP課税の適用外とされていた所謂皮ベロ・スニーカー(キヤンバス・シユーズのベロの部分を皮にし、胛のチーフ・ベリユーが皮で前掲ゴム底布靴の定義に該当しない)で、これをFOB関税で多量に輸出したのである。

ところが、皮ベロ・スニーカーの輸出の増大は米国履物製造業者を刺戟しその輸入防過を議会に働きかけさせる結果となり、昭和三二年九月所謂サドラツク法案が議会を通過し皮ベロ・スニーカーに対するASP課税が九〇日の猶予期間を置いて実施されるに到つたのである。

サドラツク法案の要旨は「底と胛の外表面の大部分が羊毛、綿、ラミー動物の毛、繊維、レーヨンその他の合成繊維、絹および上記のものの代用品あるいは結合物からなつている靴は胛のチース・バリユーが本項(前掲ゴム底布靴の定義を指す)に列挙された材料である靴と見做される」と云うもので、胛の材料の価格から云えば、皮ベロ・スニーカーはベロの皮の部分が価格構成上チーフ・バリユーとなるのであるが、サドラツク法はチーフ・バリユーを価格構成の点からみないで、胛の外表面を占める材料の多寡即ち材料の量的構成で決定しようとするもので、前掲ゴム底布靴の定義の不当な修正であり、ゴム底布靴に対するASP課税問題の爾後の動向を暗示するものとして我が国輸出関係者の注目を引いたのである。

ハ 皮ベロ・スニーカーに対するASP課税により輸出の伸び率は低下したのであるが、これに代るものとして日本特産の三 の繊維で織つた紙布(東洋クロス)を胛皮に使用した東洋クロス・スニーカーが昭和三三年秋頃からFOB課税で輸出され米国消費者の需要の増大に支えられてその輸出は急増したのである。

ところが、東洋クロス・スニーカーの輸出増大は、またまた米国業者のASP課税適用運動に火をつけ、昭和三五年五月には、大手履物業者であるグツド・リツチ・フツド社等は、我が国からひそかに紙布の原文を輸入しこれを材料にして米国内においても東洋クロス・スニーカーを生産販売する姿勢を示し、国内において同一材料を使用したゴム底布靴が販売されていることを理由に、東洋クロス・スニーカーに対しASP課税を適用せよとニユーヨーク税関に迫つたのである。

ニ そこで関税当局は検討の要ありとして東洋クロス・スニーカーの関税査定をペンテングしたのであるが、業者の右主張に加担することに気がひけたのか、新たに類似性(シミラリテー)と云う観念を持ち出し(一九六一年一月二三日告示)財務省令第五五三六二号をもつて翌三六年四月七日「「胛が構成されている原料の相違点はそれ自体輸入靴が国産品と同様或は類似てあると云う決定を妨げることはない」とし「輸入品と国産履物との類似性を決定するに当つてはその商業的交換可能性、同目的のための適応性、消費者の立場で認められる競争性などを勿論考慮に入れなければならない」「輸入及国産靴は本質的に同様のものであるかどうかに力点がおかれなければならない」とし胛皮について、その目的、機能の面の類似性をもち出し、東洋クロス・スニーカーの関税査定ベンデング以後、これに代るものとして輸出されていたレーヨン・スニーカーを含めて(当時米国ではレーヨン・スニーカーは生産されていなかつた)国産履物と類似性があるとし、同年四月一二日以降米国向けに船積される東洋クロス・スニーカー・レーヨン・スニーカーに対しASP課税を実施するに至つたのである(公布即日発効)。

この財務省令は、従来のASP課税に対する関税局の考え方を根本的に修正するものであり、そのことは、右に関する一九六一年一月二三日付財務省関税局告示「或種ゴム底靴の評価・アメリカ販売価格の基礎に関する件」において「今迄は斯様な相違があつたならアメリカ販売価格を基準に税を課されないものと鑑定人は考えていた」と表現していることからも明かであつて、ASP課税制度の不当な拡大であり濫用以外の何ものでもなかつたのである(証拠として提出されている一九六一年四月七日付財務省関税局発商品の鑑定と題する書面及び一九六一年一月二三日付財務省関税局告示)。

ホ 同年の米国向けゴム底布靴の輸出実績は一千四百三拾二万足、三千百二拾七万ドルで我が国のこの種履物の輸出における最盛期ではあるが、前年度の伸び率に比し五割弱に低下し、ASP課税の実施が輸出の伸長に大きな障害となつたことは疑いなく、のみならず、東洋クロス・スニーカーの関税ペンデンクによる輸出の途絶は全く予想外のものであつただけに我が国の紙布業者やスニーカー製造業者に多大の打画を与え倒産者が続出する有様であつた(第四回公判における証人高島定の供述、第八回公判における証人関俊秋の供述、稲留耕一の昭和四二年四月一五日付陳述書第二項)

ASP課税の適用は、我が国業者の反対運動にも拘らず、その後も拡大強化の一途を辿り、一九六一年四月一三日公布の財務省令第五五三六四号の(二)は、今度はゴム底布靴の底の問題を採り上げ、前掲ゴム底布靴の底の定義では「全体又はチーフ・バリユーが天然ゴム又はその代用品であるもの」とされているにも拘らず「底が主要価値に於てインドゴムでなくても外見が同じ弾性・柔軟性・滑り抵抗等の一般的性質を持つ場合」「その材料の如何を問わず此の材料がインドゴムの代用としてでなく、その物固有のため又其自体の特徴のために使用されておることが実証されない限り、ゴムの代用底である」とし、底の定義の修正によるゴム底布靴の適用範囲の拡大を策したのである。

我が国業界ではレーヨン・スニーカーのASP課税を見越して昭和三六年三月頃からは、所謂スチレン底(合成ゴム底)のスニーカー(スチレンソール)が生産され、ASP課税外のものとして多量に輸出されるようになつたのであるが、このスチレン・ゾールは底が天然ゴムでないことは勿論その性質からみてゴムの代用品でもないとの見解からFOB課税で輸出されていたところ、米国側は、その特性から、スチレン底が天然ゴムの代用品であるか否かにつき疑義があるとし、又米国各地の税関の取扱も一定していなかつたこともあつて関税当局は、その取扱いを統一させるためと称し、前記省令を公布したのであるが、その志向するところは、これまたASP課税の硬化による日本品スニーカーの締出し以外のなにものでもなかつたのである。この省令は同年四月七日、前述のレーヨン、スニーカーに対するASP課税適用布告と同時に公布され四月一三日付で公報に掲才されたのであるが、日本の履物輸出業者は勿論、米国バイヤーもこの省令はスチレン底のスニーカーに対するASP課税を布告するものとして受取り、本省令公布の九〇日後に入港する製品から適用を受れるものと解釈から七月一四日以後はFOB課税では輸出できないと考えていたし、実際にも六月以降は、その輸出は途絶したのである。

ト、しかるに、その後に到りスチレン底のスニーカーは右省令の但書に該当するものでASP課税の適用はないことが判明したのであるが、右の事情から六月頃にスチレン、ソールの注文がなくなるとこれに代るものとしてビニール底が、(P・V・C・)、革底のスニーカーが、前掲ゴム布靴の底の「範疇」には入らないと言う見解で次々と輸出されたのである。ところで革底はいかにしてもゴム底と類似性ありとは言い難かつたためか、ASP課税とはされなかつたのであるが、スチレン底、ビニール底のスニーカーについては、一九六二年三月一二日付の財務省令第五五五八三号により、一九六一年四月七日付の前記省令を変更し、但書の「そのような原料がインド天然ゴムの代りでなく独自にそれ固有の性質として使用されたことが確定せざる限り」との文詞を削除することにより「弾性・柔軟性及び滑り抵抗の性質を有する底は、全体若しくは主要価値に於てゴムの代用品である」ことを明確にして、但書適用の有無に関する疑業をなくし、ビニール底(P・V・C)及びスチレン底をもつスニーカーはすべてASP課税とする旨を宣言したのである。

右省令は一九六二年三月一四日公布され、公布の日より九〇日後に入港した製品に対し適用し、それ以前に入港したものについては適用されないこととされたのである。

チ、このように米国関税当局は、ASP課税適用のための前提要件をなすゴム底布靴の定義に該当するかいなかの問題と国内産品と外国製品とが材料の面で同一であるか否かの問題の二点について、前者においてはその概念の範囲を本来の規定の文言を越えて不当に拡大し、又後者においては新に目的、機能の面の類似性と言う観念を導入してその適用範囲を拡張して日本産スニーカーの輸入阻止を図り、みの後ASP課税外として輸出された新規の諸スニーカーに対し、次々とASP課税を実施して行つたのである。

即ち、昭和三八年八月三一日には印がビニールと綿の混合である所謂コンビネーション、スニーカーが昭和三九年には皮紛をゴム底に混入した所謂レザー、パウダー、スニーカーが夫々ASP課税となり、その結果、昭和四〇年度は一、六三九、三〇〇〇足、九二二、二〇〇〇ドルと言う輸出実積に止まり、最盛期の昭和三六年の輸出実積の六割程度に減少したのである。

リ、のみならず昭和四一年の三月に至り関税当局は昭和三七年六月一四日以前即ち前記財務省令第五五五八三号によるスチレン底スニーカーのASP課税実施前に輸入されたスチレン底スニーカーについては同省令によりFOB課税で輸入できることになつていたにも拘らず、日本側の分析結果を無視し材料の価格構成の割合から去つてスチレン底スニーカーの靴底はスチレンではなく天然ゴムがチーフ、バリユーと認められるから当然にASP課税とされるべきものであつたとの裁定を下し、ここにFOB関税で適用されていた昭和三七年六月一四日以前のスチレン底スニーカーに対してASP課税額との差額を追微する態度を表明するに到つたため米国バイヤーはこの追微税問題につき積極的に抗議するため日本商社に対し右スチレン底の材料分析表の送付を求めてきている現状にある(第九回公判における証人阿部孝雄の供述等)。

(2)、我が国の対策

イ、米国関税当局のASP課税適用による日本製ゴム履物の輸入制限政策については、我が国のゴム履物業界は無関心でありえなかつた。日本のゴム履物の対米輸出は、昭和三一年頃から遂次増加し、昭和三五年当時は、総ゴム靴七百五十九万五千ドル、ゴム底布靴(スニーカー)千三百二十万一千ドル、合計二千七十九万六千ドルに達し、我が国輸出品中重要な一部門を担い特にゴム底布靴については、全輸出量の七〇%強が米国向けで中六〇 がスニーカーと言われており、スニーカーにとつて米国はまさに重要な市場を形成していただけに輸出商社やゴム履物製造業者で組識している日本雑貨輸出組合(その後日本軽工業製品輸出組合と名称変更)及び日本ゴム履物工業会が中心となり前記サドラツク法案の成立阻止を手始めにゴム履物就中スニーカーに対するASP課税阻止運動をおこし、ニユーヨーク在住の米国弁護士へメデンガー氏に議会対策等を委嘱する一方、代表団を渡米させてASP課税反対の陳情を行わせると共に駐在員を現地に派遣し関税当局や米国業界の動向を通報させ、ASP課税阻止のため真険な努力を払つたのであるが、米国関税当局は関税査定を中止してASP課税の姿勢を示したかと思うと、一年近くも結論を回避する等その変転ままならぬ態度と情報網の不備から正確な情報を早期に入手しないこともあつて適切な対策がとれず業界は混乱を極めたのである。

ロ、一例を挙げるならば、スチレン底やビニール底のスニーカーに対するASP課税の適用実施については、安藤駐在員より、その旨の連絡を受けたのは三六年九月一日であり、又三六年四月一三日公布の前記財務省令第五五三六四号の(2)の内容につき通報を得たのは三六年九月九日であつて、それまでは当該省令より公布さえも知らなかつたし、のみならず右省令によつてスチレン底やビニール底のスニーカーがASP課税の対象になつたものと理解していたところ、実際にこれらのスニーカーがASP課税とされていたのは翌三七年三月一四日公布の財務省令第五五五八三号によつてであつたという言う具合であつた(日本軽工業製品輸出組合「米国向けゴム底布靴のASP問題経過」等)。それだけに輸出商社等は取引の予定がたたず、先走りして取引を手控えたり全くASP旋風に振り廻され右往左往したというのが当時の実情であつた この点については、一人日本業者だけでなく、米国バイヤーも同様であつて、東洋クロス、スニーカーについては昭和三五年五月関税査定がベンデングされたため、ASP課税近しとみて同年七月には輸出取引は停り、その結果日本の紙布業者やゴム履物製造業者は多数倒産したのであるが、東洋クロス、スニーカーに対し実際にASP課税が適用されたのはレーヨン、スニーカーと同様昭和三六年四月一二日であつたのである(第九回公判における証人高島定の供述)。

ハ、 業界では、米国関税当局や議会に抗議する一方、日本政府に対してもASP課税の実情を訴え外交交渉による解決を再三陳情したのであるが、当時の対米関係を反映してか、政府の態度は内政干渉になることを理由に極めて消極的で、ASP課税問題につき積極的に対米交渉を始めたのは実に昭和三七年八月二四日第四一回国会衆議院商工委員会議事録)。

ところで、このASP課税問題が、貿易立国を標傍する我が国にとつていかに重大旦つ深刻な問題にあるかは、貿易自由化に伴う、輸入残存制限に関する最近の日本通商交渉において常に議題とされていることからも充分窺い知ることができるのである。

(3) 当時の履物類の輸出取引の実情

イ、輸出取引は公式的には、バイヤーから注文があり、その注文内容につき輸出業者とバイヤーとの間で合意が成立すると両者間において輸出契約が締結され、輸出業者はバイヤーからの信用状の関設をまつて生産業者に注文品の発注をなし、生産業者は輸出業者との間で締結した供給契約に基いて注文品を製造納入し、輸出業者は通関手続をとつてこれを船積して船会社より船積書類を受領し、為替手形にこれを添えて外国為替銀行にその買取り方を申し込み輸出代金の決済を受けるのであるが実際の取引は正式にバイヤーとの間で輸出契約を締結する前、従つて信用状が開設される以前にバイヤーからの引き合いを予想し、注文のあり次第直ちに輸出取引が成就しうるよう、或る程度見込で生産業者に対して輸出商品の製造を注文し、バイヤーの注文に即応できる態勢をとつているのが輸出業界の実情である。

商取引が理論ではなく利益追求の経済活動である以上その目的に即した方法をとることは自然の成行であつて、公式通りにやつていては商機を失い、企業の発展も貿易の伸長も期待できないのである。我が国の対米輸出取引は、競争国(香港、西欧諸国等)があり、又国内においては過当競争が激しいため輸出業者の立場は極めて弱く、バイヤーの注文に即応できなければ取引を失するおそれが少くないので、予め取引商品を獲得しておく必要があり、又輸出商品の生産業者は輸出商品の専業メーカーで、内需品の製産に転換困難な場合が多いだけに取引商品を予め獲得しておくためには、メーカーに対する注文を絶さないようにしてその経営の安定化に配慮しなければならず、輸出業者と生産業者の連けいは緊密を要するのである。

バイヤーの希望する商品を、その希望する時期に希望するだけの量を取り揃えることが弱少貿易商社が激しい過当競争の中で生存していくための要締であり、そのためには必要な商品を必要な時期に必要な量だけメーカーに供給させることが出来なければならないのである。

又輸出商社が安定した経営を続けて行くためには、どうしても多数のバイヤーとの間に長期的、継続的取引を行うことが必要であり、特に履物等雑貨類については、日常の消費物資であるだけに或程度継続的取引となる可能性が大きく、この可能性を現実のものとし輸出商社として発展していくためには、生産業者と密接に連けいし、必要な時に必要な商品を確保できる態勢を確立しておかなければならないのである。

ロ、 特に、ASP課税の危険性のあるスニーカー類については米国バイヤーは利潤の多いこれらスニーカーをFOB課税で多量に輸入しておき、ASP課税になつて輸入が出来なくなつてから、これを国内で販売すれば利益率が一層高くなるため、先を競つて輸出商社に対し短期間のうちに多量のスニーカーの買付を要望してくるのである(第八回公判における証人対川利雄の供述)。

輸出商社としても、利巾は薄くとも多量に取引すれば、まとまつた利益にもなり又他の商品も買つてくれる得意先のバイヤーを逃したくないと言うこともあつてバイヤーの希望に応ぜざるを得ないのであるが、そのためには生産業者の生産量を必要なだけ確保することが先決問題であり互に生産業者の生産枠の取り合いとなるのである(第九回公判における証人阿部孝雄の供述等)。

それだけに商社としては、予めバイヤーの注文量を見越して、この注文量を生産面において確保しておく必要にせまられるのである。

このように輸出商社は、多かれ少かれ夫々の能力に応じ、将来の輸出取引の予想の上に立つて生産業者との間に予め製品の供給契約を締結しバイヤーの注文に即応できる準備を整えているのである。

ハ、 しかしながら、ASP課税の動向が適確に掴みうる場合には、生産業者に対する見込注文も危険を伴わないのであるが、ゴム履物のASP課税の如く、米国関税当局の態度が支離減裂で、その動きが早期に旦つ正確に把握できない場合には、投機的な色彩を帯び極めて大きな危険が伴うのである。

ここに被告人等が本件犯行に到つた要因があるのである。

以上詳述したところが本件の背景をなす事情であつて、この事情を無視しては被告人等が本件詐欺を犯すに到つた動機緑由を理解することはできないので敢えて累述した次第である。

(二) 我が国における輸出保険制度

輸出保険は「輸出貿易その他の対外取引において生ずる為替取引制限その他通常の保険によつて救済することができない危険を保険する制度を確立することによつて輸出貿易その他の対外取引の健全な発達を図ることを目的」として制定された輸出保険法(昭和二五年三月三一日法第六七号)によつて定められている国営の保険である。

輸出保険制度は企業の輸出取引の環境条件を国内取引の環境条件と同程度或いは有利にするよう危険を補填する制度であり、沿革的には輸出貿易その他の対外取引において生ずる契約上の債権者の地位を保険する信用保険として生れ西欧諸国においては歴史的には民間保険業者が信用危険についての輸出保険を引き受け、後になつて政府が非常危険(仕向国の内乱、革命、輸入制限等)につき輸出保険を引き受けると言う経緯を辿つて来ているのであるが日本には国際的な信用調査機構が整備されていないため、民間の輸出信用保険制度は存在しないし又非常危険に対する民間の輸出保険もないのである。従つて日本の輸出業者が輸出保険を利用するためには、日本にある外国保険事業者の輸出保険(旧輸出保険法においては、外国保険事業者の普通輸出保険につき日本政府が再保険を引き受ける制度が認められていた)に加入するか或いは輸出保険法による国営の輸出保険の保険契約を結ぶことになるのである。

輸出保険には、普通輸出保険を始めとし、輸出代金保険等数種類の保険があるが、本件の輸出保険は普通輸出保険のうち輸出者が個々の輸出契約の中から非常危険のあるものを選択して付保する所謂非常危険についての個別保険の外商品別に組識される輸出組合(輸出入取引法)が政府との特約に基きその取扱う商品について所属組合員が各個に締結する輸出契約に対して包括保険と言うものが認められていたが、ゴム履物の輸出取引については未だ包括保険は実施されていなかつたから(昭和三七年三月三〇日から実施)ゴム履物の輸出取引に関する限り非常危険を保険する方法としては個別保険しかなかつたのである。

ところで、この個別保険は輸出業者が非常危険のある輸出契約につき個々に保険契約を締結するものであつて、その保険の効力は、付保された当該輸出契約を越えて他の付保されない輸出契約には及ばない為輸出契約が多数にわたる場合には、その手続は煩雑であり、而も輸出契約の締結が前提とされ、契約の成立を証する書面の添付が要求されているので、前述の如き見込注文から生ずる危険を保険することはできなかつたのである。

又現行普通輸出保険による損害補填の範囲は、損害の全額に及ばずその90%をもつて限度とするので(輸出保険法第五条)、損害補填と言う面からは、必ずしも満足すべきものではないのである。

輸出保険法による輸出保険も保険である以上、保険の一般法理によつて運用されるものではあるが、普通輸出保険については、他の輸出保険と異り、危険が大である場合でも保険の引受けを拒否できないし(輸出保険法第一条の六)又我が国の輸出規制措置による輸出者の損失をもカバーする点(法第三条七号)において、国の損失補償的な性格も含んでおり、危険の担保と言う保険本来の性質と同時に多分に補償乃至補助金的性格も併有していることは考慮に価いするところである。前述のように普通輸出保険は元来民間保険事業の一つとして運営しうるものであるが、偶々我が国では輸出保険を取扱つている民間保険業者がいないためと輸出貿易の保護振興と言う国策上の要請から国がこれを運営しているに過ぎないのであつて、本質的には民間の一般保険と同一に考えるべきものであり、国営保険なるが故に特別視すべきではないのである。

普通輸出保険の、前述の二面的性格は株式会社平岡が、受領した輸出保険金をASP課税による非常危険の引当としてスニーカーの対策輸出に努力し多大の実積を挙げた事実及び犯行後その受領した輸出保険金を全額返還した事実を情状として評価する場合充分斟酌されなければならないと思料するのである。

(三)本件犯行の経緯

(1)株式会社平岡は、昭和三二年三月設立以来、被告人平岡信生社長の商才と社員の昼夜を分たぬ献身的努力の甲斐があつて遂年その業績を上げて来たのであるが、昭和三四年秋頃から一層の発展を期してゴム履物の対米輸出に乗り出し、翌三五年には売上実績二、一二〇、九三六、〇〇〇円と言う日本の総輸出高の二〇・八パーセントをしめる大手履物輸出商社の地位を築き上げ(取調請求予定の履物年度別輸出実績対比表)、ゴム履物特にスニーカーは株式会社平岡の主力輸出商品となつたのである。

ところが、今年五月、当時の対米輸出履物の中心であつた東洋クロス、スニーカーにつき前述の如く米国関税当局はASP課税適用の可否を検討すると称し、関税査定を中 止したため、前年の皮べ、ロ、スニーカーのASP課税に引き続き、又もや東洋クロス、スニーカーに対するASP課税の気運が濃厚になつたのである。

ところで平岡では、ASP課税実施による危険を回避するため、適宜普通輸出保険制度を活用し、その輸出を継続したのであるが、同年七月頃にはバイヤーからの注文も途絶えたので、その取扱いをやめ、これに代るものとして新に考案されたレーヨン、スニーカーをFOB課税で輸出したのである。しかしながら、このレーヨン、スニーカーも同年十一月頃には、その急激な輸出増大を阻止するために近々ASP課税とされるとの情報もあり、株式会社平岡としては、スニーカーが主力取扱商品であつただけに、米国のこのASP課税による日本品輸入防遏政策には強い関心を抱かざるを得なかつたのである。而もそのASP課税の理由が前述のように米国産品との類性にあると言うことであつたため、被告人平岡は、若し、米国関税当局がこのような不当な解釈を実際に行うとすれば、スニーカー輸出の将来は絶望的であり、新進の弱少商社である平岡にとつては、まさに死活の問題であるだけに、その対策に苦慮していたのである。

(2)当時ゴム履物の仕入地は神戸であつたので神戸に営業所を開設して、その仕入れを担当させていたのであるが、その頃平岡では有力なバイヤーを握つており、しかも長期的、継続的な取引をしていたため、米国国内の需要からみてメーカー側の生産さえ思うようになれば、いくらでも売込める自信があつたので、ASP課税の危険はあつたが米満化学外のメーカーに見込でどんどん製品の注文を出していたのである。

ところが、メーカー側は、東洋クロス、スニーカーによる打撃におびえレーヨン、スニーカーに対するASP課税を懸念し、注文したものは仮りにASP課税の実施によつてバイヤーの注文が途絶えたり、輸出契約が破棄されたりしても平岡において必ず注文品を引取りメーカーに損害を転稼しないと言う保証がえられなければ受注に応ずる訳にはいかないとの態度をとつていたため、神戸営業所の仕入担当課長の増田実は、このメーカー側の意向を本社の履物課長である滝口譲に伝え、善処方を要望したのである。

そこで滝口は早速取締役で輸出組合関係を担当し、ASP事情に通じた被告人三宅にメーカー側のこの意向を話し、打開策を考えて貫いたい旨依頼したのである。

三宅は、メーカー側が受注を拒めば平岡の商売は成り立たないので滝口をして一応平岡では注文したものは必ず引き取るから心配せぬよう伝えさせると共に、社長の平岡にこの事情を報告したのである。

(3)平岡社長は、メーカーにASP課税の損害を負担させたのでは、今後の取引に支障を来すし、さりとてASP課税となればその製品は転売できない性質の品物だけにその損害を平岡が全部被ると言うことではやりきれないとの気持から、メーカーに発注している将来取引見込の分も含めて包括的に輸出保険を掛けることができれば、たとえASP課税によつてメーカーに発注製産済の商品を平岡において全部引取つても平岡の損害は保険でカバーできるのではないかと考え、三宅にそのような保険の掛け方が可能かどうかの検討を依頼したのである。

被告人三宅も会社の死活にかかわる重大な問題であつたため、取締役としての立場からもなんとかして会社に損害が及ぼないようにしなければならないとの考から、輸出保険制度につき種々調査をしたのであるが、当時の普通輸出保険制度においては前述した通り履物については未だ包括保険と言うものはなく、輸出契約毎に保険を付する個別保険があるだけであり、しかも現実に締結された輸出契約に基かないメーカーとの間の供給契約による損害を保険してくれる制度はなかつたのであるが、見込注文と言つても平岡側としては将来の輸出取引により充分消化しうる可能性の強いものであつたし、又ASP課税実施が目前に迫つてからでは保険の引き受けも拒絶される虞れがあると考えていたので、将来成立見込の輸出契約を既に成立したもののように装つて保険をつけ、見込注文分を個別保険の方法で、保険してはと考え、被告人平岡にその思いつきを打明け、この方法でやれば、たとえレーヨン、スニーカーに対しASP課税が適用され、バイヤーが取引をとりやめ、メーカーへの注文分を平岡で引取らざるを得なくなつても、その損害のカバーはできるからやらせてみてくれと進言したのである。

被告人平岡は、創業以来ありきたりの商法では資本も地盤もない弱少企業が一流商社に伍して海外市場に進出することはできないとの考えから形破りの新規な商法で利益を上げ、その利益は社員に還元し、社員一人一人が自ら経営者となつて企業の発展に協力すると言う同志的結合による企業経営を標傍し、社員に献身的奉仕を求めると共に自らも社員の先頭に立つて昼夜を分たず仕事に打込み、会社の実力の充実を期していたのである。そうして、これからと言う矢先のASP課税問題であつただけに、他の商社のように米国の不当なASP課税の幻影におびえ危険回避のため一歩退いて消極的商法に終始するが、それともASP課税に抵抗し危険は大きいが、それだけ利もあるこの機会に積極的商法をもつて臨み米国の市場に進出するかの選択に迫られたのである。

たしかに三宅の発案に従えば、危険は防止できるかもしれないが、その方法は明らかに合法的でないだけに被告人平岡は少なからず迷つたのである。

しかし、彼は全国の履物輸出総量の五分の一を押えるところまで進出して来たゴム履物就中スニーカーの輸出をみすみす縮少することは座して死を待つにひとしいことと考え死中に活を求める心境で三宅の進言を入れ、積極的商法によりASP課税と言う禍を福に転じようと決定したのである。(昭和四二年一月三〇日付被告人両名の陳述書)。

これは一人被告人平岡のみならず営業関係者就中履物担当者のいつわらざる心境でもあつたのである。

(4) 原判決は、その情状の項において「被告人平岡は個人会社的色彩の強い被告会社の社長の地位にありながらこれを首謀し、社員をも犯行に引き入れたものであり、被告人三宅は犯行の手段方法を立案計画して自ら実行に当つたもので被告人等の罰責は極めて重い」と説示しているのであるが、株式会社平岡は、形態上は個人的会社と言いうるとしても、前述の如く同社は同志的結合による企業経営(即ち従業員持株制度を採用している)を基本とし、社員の一人一人が経営者の立場に立つて会社の発展のため努力を重ねて来ているのであつて被告人平岡のワンマン会社ではなく本件詐欺にしても決して被告人らが自己の個人的利得のために行つたものでないことは言う迄もないところであり、ASP課税による危険から会社を防衛し、従業員の付記にこたえるため下から提案されたASP危険の予防策を経営の責任者として採択したものであつて、この結論に到達する迄の被告人平岡の苦悩は同情に価するものがあるのである。被告人三宅も被告人平岡の苦悩を自分の苦悩とし会社の生存発展のために自らその実行をかつて出たもので、原判決の前記認識は余りにも皮相的であり、被告人両名の心情を充分に理解していない憾みがある。

(5) 被告人三宅は、被告人平岡の了承を得てから履物担当の滝口、永林とも協議し、輸出組合等の情報からレーヨン、スニーカーに対するASP課税実施は目前に迫つていると判断し同年暮頃から架空の輸出契約に輸出保険を付するための準備に取りかかつたのである。

三宅は、当時平岡は一ケ月五千万円程成のスニーカーの輸出取引をしていたので、大体三ケ月分程度の取引量を念頭に置いて保険契約を結んでおけば、いつASP課税になつても損害はカバーできるとの考から被告人平岡の承認をえて、ASP課税の動向に応じ、昭和三六年一月から二月にかけて約一億六千万円余の予定取引金額を九ツの架空のレーヨン、スニーカーの輸出契約に振り分け、滝口に手伝わせて、その旨の輸出契約書を作成した上これに基き普通輸出保険の申込書類を整え、通産省輸出保険課を通じて普通輸出保険個別保険(非常危険)の保険契約を締結したのである。

(6) 株式会社平岡としては、このようにして輸出保険契約を締結する一方既契約分やその後成約した輸出契約に基きメーカーより納品を受けてどんどん船積したのであるが、レーヨン、スニーカーははいずれにしてもそのASP課税が目前に迫つていたため、バイヤー側においてもレーヨン、スニーカーに見切りをつけ、これに代るASP課税外のものとしてスチレン、ソールの製品化を示唆して来たので、株式会社平岡においても二月頃からはその試作をメーカーに依頼しサンプルをバイヤーに送付して三月頃からは、その引き合いを受けて輸出を始め、メーカーにも多量の見込注文をしたのである。

その後四月一二日にはレーヨン、スニーカーのASP課税が実施されたが平岡では幸いレーヨン、スニーカーの見込注文分は全部消し、すべて船積が完了していたのでASP課税によつては殆んど損害を受けることなく済んだのである。

ところが、ニユーヨークにいる株式会社平岡の駐在員等から当時レーヨン、スニーカーに代つて多量に輸出されはじめていたスチレン、ソールもレーヨン、スニーカーと前後してASP課税になりそうだと伝えて来ており輸出組合からの情報もスチレン、ソールも危いとのことであつたため、レーヨン、スニーカーの方はどうやら無事に済んだものの、今度はスチレン、ソールの方で損害を受ける危険にさらされたのである。

被告人平岡にしても、被告人三宅にしても架空の輸出契約に基き輸出保険をかける際の気持としては、ASP課税の危険は類似性を理由とする以上レーヨン、スニーカーに限らずスニーカー一般に対して存在するとの判断から、手続的にはレーヨン、スニーカーの輸出契約に輸出保険をつけるのであるが、それはあくまでもスニーカー一般に対するASP課税による危険をカバーするための便宜的な代用方法に過ぎないと考えていたのである(前掲陳述書)

(7) 輸出保険の保険期間は、契約上は二ケ月及び三ケ月であつたため、一月早々締結した分は、レーヨン、スニーカーに対するASP課税実施時(四月一二日)には既に保険期間を経過していたが、保険契約締結後右ASP課税実施に至る迄の間に約一ケ月分のメーカー発注数量(一ケ月分の輸出取引数量でもある)を船積していたので、保険期間経過分をも含めて三口の保険契約は既に目的を達したものとして、その儘失効させ、残り六口(起訴分)のものについては、四月一二日現在では保険期間は満了せず、期間満了は四月一五日乃至二一日であつたから、若し検察官主張の如くレーヨン、スニーカーに対するASP課税に籍口して保険金の騙取を考えていたのであれば、別に契約を延長する理由はなく、右期間満了までに保険事故が発生したよう作為すれば足りるのであるが、前述の如くスチレン、ソールについてもASP課税の実施近しの情報もあつたので、三宅は、もはやこの段階迄来てはスチレン、ソールに輸出保険はつけられないと一般の民間保険並に考え、その危険担保のためASP課税実施前に一応一ケ月保険契約を延長することにしたのである。

しかしながら、輸出保険の対象はレーヨン、スニーカーの輸出契約となつているため、これによつていかにスチレン、ソールの危険をカバーしようとしても既にASP課税実施により取引がなくなつたのに、この保険契約をレーヨン、スニーカーに対するASP課税実施後更に延長を続けることは誰れの目からみても不自然旦つ不合理であつたから、三宅は一応レーヨン、スニーカーの輸出契約がキヤンセルされ損害が発生したことにして保険金請求の準備手続である損失発生通知の手続をとることにし、被告人平岡の了解を得て虚偽の損失発生の通知書を作成し輸出保険課に提出したのである。

しかし、この手続段階においては、被告人三宅も被告人平岡もまだ確定的に保険金を請求する意思はなく、損失発生通知を出しておいて一応保険金請求の権利を保全しておこうとの気持しかなかつたのである。

けだし損失発生の通知は保険金請求の準備手続に過ぎず、保険金請求の手続ではないから損失発生の通知手続をしたからといつて、当然には保険金請求の手続に進まねばならないものではなく、その後損失の防止軽減の義務を履行し、損失がなきに帰すれば保険金の請求自体認められないのである。

(8) 前述の如く輸出保険を付した輸出契約は、それ自体架空のものであつたから、レーヨン、スニーカーに対するASP課税実施による保険事故が現実に発生したか否かに拘らず請求手続書類はいずれもすべて虚偽の文書となるのであつて、こゝに本件の悲劇があつたのである。又右の手続書類を作成するには保険の形成が輸出者保険であつたため、バイヤーからレーヨン、スニーカーの輸出契約がASP課税のためキヤンセルされたことにより、株式会社平岡とメーカーの間に締結されていた製品の供給契約を破棄せざるを得なくなり、それに困つて生じたメーカーの損害を平岡が負担し、平岡が損害を蒙つたことにしなければならないため、得意先メーカーである米満化学に頼んで協力を求めることになつたのである。被告人三宅は、斯様な経過で輸出保険金の請求準備の手続に入つたのであるが、スチレン、ソールは、ASP課税不可避の声が高まつたため、バイヤーも危険を感じてか、発注を見合せ七月頃には取引は完全に途絶えその代りにレザー、ソールやP、V、C底スニーカーが輸出されるようになつたのである。

これらのスニーカーもスチレン、ソール同様ASP課税になる危険性は充分にあつたのであるが、いつ実際にASP課税になるか不明であつたため、ASPを懸念しながらも売れるうちに売らうということで多量に輸出されていたのである。被告人三宅は、前述のように損失発生通知書を提出し、保険金請求の権利保全を図ることによりスチレン、ソールに対するASP課税の危険に備えた訳であるがスチレン、ソールの危険が去つてからも、右の各種スニーカーに対するASP課税の危険は依然存続していたが、これ以上保険金の請求を引き延すことは不自然であるとの考えから、同年八月に至り二千二百十二万余円の輸出保険金を請求する時点においては、スチレン、ソールの損害は発生しなかつたのであるが、レザー、ソール、PVC底スニーカーのASP課税による損害発生の危険は存在していたし、一二月二二日の保険金受領の時点においても危険は依然継続していたため、その危険が現実化し損害を蒙つたときの引当てとして、三宅はメーカーに対する一ケ月、平均発注数量(これは同時に一ケ月の輸出取引見込数量でもある)の半分程度の金額を受領しておけば一応の損害はカバーできるとの計算から右金額を請求し、受領したのである(前掲陳述書)。

(9) 三宅等の危倶は単なる危倶ではなかつたことは、実際にも保険金受領後平岡で取扱つていたPVC底スニーカーは勿論、それに代る新製品であつたコンビネーション、スニーカー及びレザーパウダー、スニーカーが次々とASP課税となつたことは先に述べたところである。

この点につき原判決は「右危険(スチレン、ソールに対するASP課税)が去り犯行を断念する余裕が充分にあつたことを考えると、これをもつて被告人等の罪責を軽減すべき事情とみることはむづかしい」と説示しているのであるが、事実は右に述べた通りであつてASP課税による損害の発生と言う危険は引き続き存在していたのであるから、原判決の説示は明らかに事実を見誤つたものであつて到底承服することができないのである。

(10) のみならず、フチレン、ソールについては、昭和四一年になつて、ASP課税適用前に輸出されたスチレン、ソールの底を米国関税当局が分析したところ、日本側の分鑑監定の結果と違い、そのチーフ、バリユーは天然ゴムと認むべきであり、本来ASP課税で通関されるべきものであつたとの立場から関税の差額を追徴すべきであるとの態度を示したため米国バイヤーは困惑し、日本側商社に日本での分析結果表の送付を求めて来ていることは先に述べたところである。

この追徴税の問題は差し当つては米国税関と米国バイヤーとの間の問題ではあるがバイヤーとの継続取引が多い株式会社平岡としては、今後の取引においてバイヤーからその追徴税額の負担を要求される虞れが充分ありうるのである(第八回公判における証人対川利雄の供述及び第九回公判における証人阿部孝雄の供述)。

又これはASP課税による直接の損害ではないが、ASP旋風により短期間のうちに次から次えと新規のスニーカーを生産させる必要から本来メーカーにおいて負担すべき靴型や材料等をメーカーに代つて平岡が負担したものもあり、その面における経費も担当額に上つている外短期取引のため、

製品についての研究が充分でなかつたこともあつて、糊ばなれ等のクレームも可成りありその方の損害の分担等もASP課税による間接的な損害として無視できないのである(前掲対川証人の供述)。このように被告人等が選んだ方法は現行輸出保険制度においては手続上許されないものであり、その所為が詐欺罪を構成することには異論を差しはさむ余地はないのであるが、被告人等の意図は、右において詳述したとおり、あくまでもスニーカーに対するASP課税実施による不測の損害に備えることもあつたし、保険金の受領もまたこの趣旨によるものであつて、この点は本件の動機等犯情を判断する上において充分に斟酌されなければならないものと考えるのである。

又原判決は、その情状の説示において、本件犯行の周到綿密性を強調しているのであるが、これは多分に保険手続の複雑性によるものであつて、この点を悪しき情状として評価することは適当でないと信ずるのである。

以上の次第であるから原判決を破棄し、改めて相当な裁判を求めるものである。

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